チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』(石塚裕子訳、岩波文庫)

 ディケンズの代表作の一つで、作者の自伝的要素の強い作品である。1849年から50年にかけて分冊で発表された。大作で読むのに時間がかるが、とにかく面白い。

 主人公のコパ―フィールドは、父が早くなくなり母と女中のペゴティと3人でつつましいが幸せに暮らしていた。ところが母が再婚し、再婚相手とその姉が家に乗り込んでくると、たちまちのうちに母をねじ伏せて、コパ―フィールドを徹底的にいびり、最後は寄宿学校へ追放してしまう。全寮制のこの学校では、悪徳校長の暴力が支配している。コパ―フィールドはここで、義父の差し金で札付きの“悪ガキ”として文字通り首に札をかけられて屈辱的な出発をするのだが、年長で頭がよく親切で統率力のある先輩、スティアフォースと出会い、その庇護のもとにそれなりに有意義な学校生活を送る。無類の好人物で生涯の友となるトラドルズとも知り合う。

 ところが、いじめられぬいた母が体を壊して他界すると、12歳のコパ―フィールドは学校も止めさせられ、ロンドンへ送られて瓶洗いという過酷な肉体労働に就かされる。毎日の労働には夢も希望もない。これは作者自身の体験にもとづいている。下宿先はミコーバという男の家だったが、この男は美辞麗句を唱えるが生活力がなく、一家は借金で債務監獄に入れられる。このミコーバさんは、ディケンズの父をモデルにしていると言われる。

 ディケンズの父は、経理士官の軍人だったが、経済観念に乏しく浪費による借金の返済ができず債務監獄に送られる。このときディケンズは12歳で、靴墨工場の労働者として働かされている。この体験が、作品の前半に色濃く投影されている。作品冒頭のこのくだりは、作者自身の体験にもとづくだけに大変リアルで、迫力がある。コパ―フィールドのミコーバ一家との付き合いも、この作品の大事な構成部分をなす。

 絶望的な日々を送るコパ―フィールドは、ドーバーに母の縁戚で資産家の叔母がいることを思いつく。そして職場を逃げ出しこの叔母に助けをもとめる一大決心をする。ロンドンからドーバーまで、こどもの脚で一週間も十日もかかる。馬車に乗る旅費もなく、ただ一人徒歩で歩き出す。野宿し腹が空いて耐えられなくなると、着ている上着やチョッキを古着屋に捨て値で売って、パンを買う、そんな旅を続けて、疲れ果て泥だらけになって叔母の家にたどり着く。そしてこの叔母のもとで、第二の人生が始まる。叔母の顧問弁護士であるウィックドフィールド氏のもとに下宿して、学校に入りなおし学び直す。ウィックフィールド氏のもとにアグネスという美しく聡明で思慮深い娘がいる。コパ―フィールドは、アグネスへの恋心の芽生えに気づきもしないで、尊敬する姉として接しつづける。そして、師事することになった弁護士の娘,、この上なく美しくチャーミングなドーラに夢中になる。ドーラをめぐるドラマがこの作品のなかで中核部分をなしている。

 コパフィールドは、速記術を学び速記記者からジャーなリズムへすすみ、さらに作家として名を成していく。ウィークフィールド弁護士事務所には、ユライア・ヒープという司法事務員がいる.。低い身分の出身でそれを卑下して常々卑屈な態度をとるが、悪賢く、計算高く雇い主の弱点を握って次第にのしあがり、事務所を牛耳るに至る。そして、ゆくゆくアグネスを自分のものにしようとたくらむ。この男との対決も後半の核心をなしている。コパ―フィールドは、女中のペゴティの家族、漁船を家として暮らすミスター・ペゴティとその家族とも親しく交わる。そのなかには小さく美しいエミリーがいる。このエミリーをめぐる悲劇が後半で大事な位置を占める。

 ミコーバにしろ、ミスター・ペゴティにしろ、貧しい庶民である。ディケンズはこれらの人たちに人間としての尊厳と誇りを認め、温かい目を注ぐ。また叔母にしてもアグネスにしてもか弱き女性ではなく、聡明で堂々としてむしろ主人公の庇護者である。この時代にあってこうした女性の登場もこの作者ならではである。ここにディケンズがイギリスの国民作家として愛される最大のゆえんがあるのではなかろうか。日本で言えば夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公やヤマアラシ、野太鼓にもつうじる愛すべきキャラクターを、その多彩な登場人物に見ることができる。(2018・7)