チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』(脇明子訳、岩波書店)

 ディケンズの作品のうち日本で一番よく知られているのは『クリスマス・キャロル』であろう。このところディケンズをずっと読んできたが、何故か未読のままになっていたので、挑戦することにした。他の大作とちがい、これは主として子ども向けの寓話といってよい。1843年に書かれた中編の作品である。

 当時、イギリスでは、17世紀半ばの清教徒革命の影響などからクリスマスを祝う風習自体が廃れていたという。クリスマスはもともと、キリスト教伝来以前からあった冬至の行事であり、それが異教的だということで禁じられたのだという。しかし、ヴィクトリア女王が1840年にドイツ出身のアルバート公と結婚して、バッキンガム宮殿にクリスマスツリーが飾られるようになって、イギリスでもクリスマスのお祝いがふたたび流行しだしたのだそうだ。そんな時代にこの作品が書かれ、広く読まれたことから、ディケンズがクリスマスをよみがえらせたといわれたとのことである。ちなみにクリスマス・キャロルとは、クリスマスにキリストの生誕を祝う唄のことである。

 物語の主人公は貪欲で冷酷無比な初老の男スクルージである。「握ったが最後、死んでも離さない男でした。ひっつかみ、もぎ取り、絞りあげ、こそげ取る、欲の皮のつっぱった罪深い男」「無口で、無愛想で、人づきあいが悪いことときたら、殻を閉ざしたカキそっくり」と紹介される。この男は、クリスマスがきて書記のクラチェットが休暇を申し出ても、翌日の早朝出勤を条件に嫌みたっぷりにしぶしぶ認めるほどしみったれである。たった一人の甥がわざわざ訪ねてきて、「クリスマスおめでとう、おじさん! 神様のお恵みがありますように」とあいさつしても、「ふん、くだらん」「とっとと帰れ」とほざくしか能がない。

 このスクルージのところに、つぎつぎと三人の幽霊があらわれる。クリスマスに幽霊とはと思うかもしれないが、クリスマスはもともと土着の伝統行事である。日本で言えばお盆に祖先の霊がでてくるようなものなのだという。最初の幽霊は、スクルージの若いころを再現して見せる。まだ純情で、夢も希望も周囲への愛情ももっている青年の姿である。スクルージは、自分にもこんな過去があったのだと懐かしく思い出さざるを得ない。次の幽霊は、現在の街の人々を紹介する。しぶしぶ休暇を出した書記と家族がむかえるクリスマスの楽しい食事、甥とその妻が多くの子どもたちと迎えるにぎやかで活気あふれるクリスマスの夕べなどである。どこでも、強欲で偏屈なスクルージへの非難と軽蔑の言葉も口の葉にのぼる。三番目の幽霊は、スクルージを未来へいざなう。一人の老人の死体がベッドにある。誰一人、お悔やみの言葉も同情もよせようとしない。むしろ、当然のむくいとばかり、この老人の生前をあしざまに非難する。いったいこの死体はだれなのか? それが自分の未来の姿であることを知ってスクルージは愕然とする。

 クリスマスの日、三人の幽霊との出会いからスクルージはすっかり態度をあらため、親切で人情深い好爺に変わるというお話である。イギリス社会が産業革命の最中、資本主義の発展とともに、貧富の格差が広がり、まずしい労働者がロンドンの街にあふれる、そんな時代である。ディケンズは、書記のクラチェット一家など貧しい人々の暮らしぶりとそこでの人間味あふれる人々の交わりに温かい目をそそぐ。スクルージとその変貌は、金儲け、利潤第一主義という資本の論理への告発でもある。(2018・7)