文在寅著『運命 文在寅自伝』(岩波書店)

    著者はいうまでもなくお隣の韓国の現職大統領である。朴槿恵前政権下の圧政に対する民衆の粘り強いたたかい、いわゆるロウソク革命の結果誕生した大統領である。しかし、日本人の多くが、この大統領の経歴も政治信条もまったくと言っていいほど知らないのではなかろうか。実は、この書を読むまで私自身がそうであった。それだけに本書の内容は衝撃的である。

   本書は文在寅の自伝という形をとっているが、その内容の大半は先輩であり、同志であった廬武鉉元大統領(2003~2008)の人物と業績の紹介に充てられている。廬武鉉は、後続の李明博政権による政治的報復を意味する不当な告発、追及によって、最期は投身自殺に追い込まれる(2009年)。しかし、民衆に寄り添うその人柄と事跡は、韓国政治民主化の上でも、当時戦争直前まで悪化していた北朝鮮との関係改善という外交努力でも特筆すべきものがあった。現在も歴代大統領の中で国民の多数から最も高く評価されている人物である。文氏は、この大統領の補佐官としてその政治信条の多くを共有し苦楽をともにしてきた。したがって本書は、廬武鉉をつうじて著者自身をも語っているのである。若干の内容を紹介しるにとどめよう。

    隣の国の現職大統領ということから、どうしても日本の首相、安倍晋三氏と比較したくなる。これほどのいちじるしい対照もめずらしい。まず、安倍氏は日本がおこなった侵略戦争の最高責任者の一人であった岸伸介を祖父にもち、そのことを至上の誇りにしている。これに対して、文氏は廬武鉉とともに極貧の家庭で育ち、ともに人権弁護士として貧しい人々のために献身し、独裁政治にたいして身をもってたたかってきた経歴を持つ。廬武鉉は大学に進学できず独学で弁護士資格をとっている。文は、朝鮮戦争で北から南に避難した離散家庭に生まれ、苦学の末司法試験に合格するが、学生時代に独裁政治とたたかう民主化運動に参加していたため、韓国では通例である判事や検事への就任を拒否され、やむなく弁護士になって廬武鉉と出会っている。民主主義と人権を守るために、催涙弾を浴びながらデモ行進の先頭に立ち、再度にわたって逮捕もされている闘士である。

    安倍氏は、過去の侵略戦争を賛美し、朝鮮や中国、東南アジア諸国への植民地支配や、それらにともなう人権抑圧を正当化してやまないのにたいして、廬武鉉政権(参与政府という)が熱心に取り組んだ仕事の一つに過去事整理作業というのがある。これは、李承晩いらい朴正熙などにいたる反共独裁政権のもとでおこなわれた数々のでっち上げ事件や大量殺人、拷問などの人権抑圧を洗い出して、真相を究明し犠牲になった人々を救済し名誉を回復する仕事である。同政権が、悪名高い国家保安法の廃止を目指しながら実現できなかったことを、著者は痛恨事の一つとしてあげている。

   安倍氏北朝鮮の脅威を口実に軍拡や戦争法を強行し、力による対決を叫ぶのに対して、廬武鉉政権は、対話による事態の打開に力をつくした。当時、アメリカのブッシュ政権北朝鮮に対して武力の行使も辞さない強硬姿勢で、一つ間違えば戦争というきわどい状況にあった。廬武鉉政権は、一貫して平和的解決を主唱し、ついに6ケ国協議、南北首脳会談を実現する。38度線に引いた黄色い線を廬武鉉大統領が歩いて超える情景の描写は感動的である。文氏は、廬の遺志を継ぐ大統領として北朝鮮との対話による交渉、非核化の実現にむけて真摯な努力を続けている。

   韓国は日本の植民地支配からやっと抜け出したとおもったら、朝鮮戦争による民族分断、長く続いた独裁政権による人権抑圧との苦難に満ちた経験を重ねてきた。そのなかで、人々はねばり強い民主化運動を草の根からたたかいぬいた。そのたたかいを担い、たたかいの中から生まれたのが、廬武鉉の参与政府であり、現在の文在寅大統領である。激動の韓国現代史をたたかった側から凝縮して示してくれるのが本書であるといえよう。文在寅の韓国に私たちはもっと目を向けなければならない。(2019・2)

 ((((ここに脚注を書きます))))