司馬遼太郎『梟の城』(新潮文庫)

 作者の若いころの作品であり、1959年の直木賞受賞作である。いわゆる忍者もので、戦後の忍者ブームの走りになった作品といえよう。作者の作家としての地位を不動のものにした記念すべき作品でもある。しかし、後の一連の歴史小説がそれぞれの時代とそこにおける登場人物の真実に迫ろうとしているのに対して、この作品は文字通りの意味で娯楽小説、大衆読み物といった傾向が強い。ストーリーも場面展開もかなり恣意的であるし、適当にエロティシズムをまぶしているところにも、そうした相貌をうかがうことができよう。そうした娯楽読み物でありながら、そこに描き出された人間像に作者らしい鋭い人間観察や洞察をもみることができ、そこに並々ならぬ才能を認めることができるといえよう。

 舞台は、秀吉が朝鮮出兵をおこなった時代の京都を中心に展開する。伊賀忍者の里は、信長によって残酷な弾圧をうけ、親兄弟を惨殺された忍者たちは各地に離散し、再起の機会をうかがっている。その一人である葛籠重蔵のもとに、かつての師匠である老人、下柘植次郎左衛門が訪ねてくるところから、話は始まる。京都に潜伏している次郎左衛門は、堺の豪商で秀吉の側近でもある茶人、今井宗久から内密に依頼されたあるたくらみへの加担を重蔵に依頼する。そのたくらみとは秀吉暗殺である。伏見城の堅い守りを抜いて侵入し、秀吉を襲うことができるのは、超人的秘術を駆使する忍者以外にいないというわけである。宗久は、信長に取り立てられ、秀吉の側近でもあるが、秀吉は堺の他の商人との関係が深く、宗久は半ば干されたような地位にあり、内々秀吉に恨みをもっている。その背後には徳川家康の影もちらつく。

 一方、治左衛門の弟子には重蔵の他にもうひとり、風間五平という男がいる。次郎左衛門は自分の娘の木猿の婿にこの五平をと考えているが、この男は生涯日陰者で終わる忍者稼業に嫌気がさして、忍者の掟を破り、身元を隠して京都奉行を務める前田家に仕官している。秀吉を狙う重蔵らを捕え、処刑してこそ、出世の道が開ける立場に身を置くのである。五平の裏切りを知った木猿は、五平を切る覚悟で京に赴く。しかし、五平の前に出た木猿は、この男に身をゆだねてしまう。このあたりがいかにも娯楽小説といったつくりになっている。この五平らに加担する甲賀忍者――そのなかには重蔵に恋をする小萩という美しい忍者もいる――もからんで、話は重蔵と五平を軸に、両者の入り組んだ対立、抗争として展開する。

 忍者は、特定の主人に仕えるのではなく、約束される報酬とひきかえに、その都度、引き受けた仕事にすべての力を投入する。成功しても、地位も名もいっさいかかわりなく、失敗すればすべては闇に葬られる。そうした稼業には、夢も希望もない。ただその場その場に賭け城るしかない。そのニヒルな生き方に徹しているのが、重蔵である。重蔵はそうした生き方のむなしさを自覚もしている。このあたりが、無謀な戦争に青春を奪われ、戦後は企業戦士としてただひたすら働き続けるサラリーマンなどの共感を呼び、歓迎されたゆえんかもしれない。重蔵にしても五平にしても、けっして英雄でも理想に生きる人物でもない。そうした人間のあがきと葛藤をつうじて時代をえがいたところに、この作品のユニークさがあるかもしれない。

 さて忍法を駆使して様々な困難と障害を乗り越えて伏見城に忍び込み、秀吉の寝所に侵入した重蔵が、そこで目にした秀吉の実像とは? また、重蔵を追って同じ城内に忍び込む五平を待っていた運命とは? これがこの作品のクライマックスである。大盗賊、石川五右衛門伝説を取り込んだ結末こそ、本作の最大の見どころといえよう。(2019・3)