乙川優三郎『R・S・ヴィラセニョール』(新潮文庫、2019・11)

 

 作者はよく練られた文体で時代小説を書く作家として知られていた。数年前に『脊梁山脈』という大作で現代を描いて話題になった。今回の作品は、タイトルからしてどういう作品なのだろうと、思わせる意外性がある。レイ・市東・ヴィラセニョールという染色家の女性の名前である。母親は日本人で日本国籍であるが、フィリピン人のメスティーソを父にもち、容貌が父親似であることもあって、幼いころから偏見や差別に悩まされたばかりか、日本人でありながら、自分のアイデンティティに違和感をもちつづけてきた。

 大学で染色を学び、今は千葉県の房総半島の海辺で一人暮らしをしながら、着物の染色に明け暮れている。型染という染色で、繊細な色合いを特徴としながら、大変な体力を要する仕事である。近くにメキシコ出身のメスティーソであるロベルトという青年がおり、染糸を生業にしていて、境遇が似ていることもあってなにかとレイと交流がある。レイの家庭では、母とレイは日本語で、母と父は英語で会話をかわし、父はカタログ語もはなし、日本にはなじまず、フィリピン人であることに強いこだわりをもっている。そして、しばしば単独でフィリピンに帰国する。こういう環境で育ったレイは、日本のもっとも日本的な伝統工芸にたずさわりながら、自分の感覚に非日本的な、父の血の流れていることを自覚せずにおれない。彼女が和服地に強烈な赤色を染めこむのも、そのあらわれの一つといえよう。彼女にはもう一人、大学の先輩で、日本画を専攻し、江戸時代の琳派の現代版をめざす根津という男性とつきあっている。この青年は、裕福な環境に恵まれているが、躁鬱の病をもち、作画のうえでの壁とともに、病状が悪化していく。

 こうして、染色、染糸、日本画という特異な世界の作為がきめ細やかに描かれていく。レイの作品は、日本人離れした感覚が評価されて、独り立ちできる展望も生まれてくる。そんな時に、父ががんで倒れ、手術入院する。退院して療養中にもかかわらず、父は単身でフィリピンへ行くと言い出して、母やレイの説得に耳を貸そうとしない。父には、フィリピンで弁護士をしている弟と、ハワイに居住する妹がいる。父がなぜそれほどフィリピン行き、それも単身でにこだわるのか、レイには理解できない。

 医師から父の余命はわずかと宣告されたのを機に、レイの連絡で叔父の弁護士が来日する。そしてレイは、この叔父から父や叔父がどんな環境のもとで育ったのか、戦後のフィリピンのおぞましい歴史と父たちの一家が巻き込まれた惨劇をつぶさにきかされる。父の父、レイの祖父は反骨のジャーナリストであった。殺人など醜悪な犯罪者からなりあがっていったマルコス大統領の統治下で、多くの国民が貧困と失業の海に放置されたまま、国費の私物化、利権あさり、批判者への暴力的抑圧が横行した。祖父は、これに抗議しつづけて、惨殺されたのである。そのむごたらしい遺体をまのあたりにした父が生涯をかけて誓ったのは、マルコスへの復讐であった。彼が、母を置いてしばしばフィリピンへ帰国していたのは、そのためであった。

 もちろん、マルコスはとうに亡くなっているのだが、宮殿に安置された遺体にたいして復讐の思いをはらそうというのが、父と叔父らの計画であった。この辺りはミステリアスなのだが、マルコスを中心とするフィリピンのおぞましい戦後の歴史を、この作品で初めて知ることができたのは収穫であった。それにしても、韓国について多少知識は持つようになったが、フィリピンの歴史についていかに無知であったかを反省させられた次第である。(2019.11)