アビール・ムカジー『カルカッタの殺人』(田村義進訳、早川書房、2019・7)

 第一次世界大戦後の1919年、英国の植民地だったインドのカルカッタを舞台にした異色の推理小説である。作者は、インド系の移民二世のイギリス人で、会計士をしていたが、40歳で自らのアイデンティティー確立のために一念発起して稿をおこしたという。

 主人公ウィンダムは、スコットランドヤード勤務の優秀な刑事であったが、第一次大戦に従軍して生死のあいだをさまよい、親しい友人や戦友の多くを失った。そのうえ、最愛の妻に突然の病で先立たれて生きる希望を失っていたところを、インドのベンガル州警察の総監をしているかつての軍での上官から誘われてその部下としてカルカッタの警察に勤めるようになる。コンビを組む部下にインド人青年で、育ちが良く真面目で頭も切れる部長刑事のバネルジーがおり、もうひとり、イギリス人で警部補佐のディグビーもいる。

 赴任していくばくもないときに、インド人街でしかも娼館の前で州副総督の側近、財務局長のマコーリーが惨殺死体となって発見される。喉を掻き切られ、片方の手はズタズタに切り裂かれ、片方の目は眼窩からえぐり取られていた。誰が何の目的でこのようなむごたらし殺害をおこなったのか? それにしても、英国人の高官がなぜインド人街に足を踏み入れ、しかも娼館を訪れたのか? 

 当時のインドは、イギリスの支配下で、英国人がわがもの顔でのさばり、藍やケシの強制栽培で小麦の作付けが激減し農家は数十万規模で餓死者が出るなど飢饉が頻発、地場産業の衰退により都市部では住民は救貧のきわみにあった。当然のこことして反英闘争がひろがり、さまざまな結社が反英・独立運動をくりひろげ、なかにはテロを武器にたたかう集団もあらわれる。カルカッタでは、英国人はホワイトタウンに、インド人はブラックタウンにと住む場所も画然と区別されていた。ウィンダムは、娼館の経営者の女性や娼婦らから事情聴取をするが、彼女らは何か隠していて口を割らない。

 事件はそうした状況のなかで起こったのである。当然、まず疑われるのは、反英闘争をおこなっている集団、組織である。おりしも、警部補佐のディグビーが、なじみの情報屋を通じて、テロ集団のリーダーで潜航中のベノイ・センがカルカッタに戻っているとの情報をもたらす。犯人はこの男に違いないと、逮捕するのだが、センは、テロという手段に疑問を抱くようになり、非暴力に転じてその立場で運動を広げるために帰ってきたのだと一貫して犯行を否認する。その態度には、真摯なものがあり、ウィンダムの最初の推理はゆらぐ。そこへ、軍の情報部が事件に介入してきて犯人引き渡しを強引に要求する。

 ウィンダムはバネルジーと協力して、マコーリ―と親しかった実業家ジェームズ・バカンやマーコリーの友人であった牧師のグン、さらにマコーリーの後任のスティーヴンスなどの身辺も探る。また、マコーリ―の秘書でイギリス人とインド人の混血で特段の美女であるアニー・グラントにも事情聴取をし、この女性とは、急速に接近する。アンは、ウィンダムと一緒に入ったレストランで食事を断られるなど、非イギリス人として不当な差別を受け、みずからのアイデンティティに違和感を持つ屈折した心境にもある。

 植民地インドのカルカッタでは、イギリス人は表面上は紳士を装っているものの、実態はその反対で、富と私欲を満たすためには手段を選ばない、貪欲で傲慢な人物が圧倒的に多い。インド人は、支配者の英国人にたいして面従腹背、いつ公然と背を向けるかわからない、反抗とナショナリズムの大波のなかにある。ウィンダムの捜査は、なかなか進まないが、改めて事情聴取をした娼婦ディーヴから、殺害現場を目撃した供述があり、牧師からマコーリ―が実業家のバリの依頼で娼婦のあっせんをしていたことが明らかになり、事件の謎が一つひとつほぐれていく。その謎解きの面白さもあるが、英国支配下のインド社会の騒然とした実態がつぶさにえがかれていることに、私は強い印象をうけた。(2019・12)