ミラン・グンデラ『冗談』(西永良成訳、岩波文庫)

 チェコ生まれ(1927年)の作者が、1967年に発表した作品である。第二次世界大戦ナチスに占領されたチェコは、ソ連軍の進攻で解放されて祖国をとりもどし、新しい国づくりにとりくむ。希望に燃える青年たちは、理想にむかって若者らしい情熱を注ぎこむ。1947年にチェコ共産党に入党する作者もその一人であった。しかし、残念ながら支配勢力となるチェコ共産党は、ソ連の影響下にチェコの実情とはかけ離れ自由と民主主義とも相容れない“ソ連型の社会主義”をめざす。青年たちの夢はふみにじられ、体制への失望と不信が広がっていく。そして、1968年、ドプチェクラによるソ連からの離反をともなう自由と民主主義への変革、プラハの春を迎えるが、その快挙はソ連を中心とするワルシャワ同盟軍によって武力で無残に潰されてしまう。

 第二次大戦をはさんで中欧の小国がたどるこの不幸な歴史を、そのなかで生きた青年たちの矛盾と苦悩に満ちた生き様をとおして描きあげたのがこの作品である。主人公のルドヴィークは、モラビアの失われた民族歌謡を掘り起こし継承し、新しい祖国の民族的な文化の創造につなげる運動に打ち込むが、付き合っていた女性にあてた絵葉書に、相手をからかうつもりで書いた一文、「楽観主義は人民のアヘンだ! 健全な精神など馬鹿臭い! トロツキー」が反党的との理由で、大勢の前でつるし上げられ、党を除名され、大学生の資格も奪われ、軍役の名目で事実上の囚人労働、炭鉱での強制苦役を5年間も強要される。ルドヴィークの弾劾、追放には、民族歌舞団の運動を一緒にやってきたヤロスラフや、同郷の幼馴染のゼマーネクもいた。なかでもゼマーネクは、チェコ解放の英雄とされたフーチクをひきあいにだして、ルドヴィーク糾弾の先鋒に立った。ルドヴィークは、炭鉱での苦役にたえながら、そこで知り合った素朴で美しい少女、ルツィエへの愛に生きる希望を託す一方、自分を破滅させたゼマーネクらへの復讐に生涯を賭けようとする。

 10数年後、軍役を終えて復学し大学に職を得るに至ったルドヴィークは、ゼマーネクの妻ヘレナを性的に篭絡することで復讐の一つを成就するのだが、そこにあらわれたゼマーネクは、もはやかつての模範党員ではなく、むしろ自分と同じ体制批判者に変貌していた。歌舞団で出世したヤロスラフも自分たちの運動がすでに時代からとりのこされ、自分の息子にもそっぽを向かれているのを認めざるを得ない。冗談に発する自分の不幸は、歴史の進行そのものによって、敵を失ってしまったのである。「<歴史>が冗談を言っているのだとしたら? 自分自身と自分の人生が<私を超える>はるかに広大で、まったく撤回できない冗談のなかに含まれているからには、自分自身の冗談を撤回することなどできないのだ」と、ルドヴィークは悟る。

 ルドヴィークの友人でキリスト教の信者であるコストフは信仰のために、ルドヴィーク同様に不当は処遇を受けてきた。しかし、彼は彼を追いやった人々を許す。そして、ルドヴィークにたいしていう。「憎悪は報復の憎悪と報復の連鎖以外に何を生むというのだ? ルドヴィーク、君は地獄に生きている。くりかえすが地獄に。わたしはそんなきみを哀れにおもう」と。

 問題の根本は、第二次大戦後のチェコが歩んだ道が旧ソ連型のエセ社会主義であって、科学的社会主義本来の意味での社会主義の道ではなかったことにある。もちろん、第二次大戦後新しい国づくりに挑戦した当時の作者らにその洞察をのぞめなかったことは言うまでもない。しかし、今日の時点からは、そのことの自覚と反省抜きには、チェコの歴史とそこでの若者たちの苦悩の意味を本当に解くことはできない。作中のルドヴィークらの苦悩と混迷はそのことを物語っている。(2020・4)