チャールズ・ディケンズ『荒涼館』(佐々木徹訳、岩波文庫)

 2017年に岩波文庫版が刊行されたので、挑戦することにした。1853年に初版が出ている。ディケンズを読むのは、『二都物語』『大いなる遺産』に続いて、第三作目である。シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』が刊行されたのがたしか1847年で、発売と同時に大きな反響を呼んだ。ディケンズのこの作品の主人公エスターは、ジェイン・エアに触発されたところがあると言われる。不幸な生い立ちの女性が凛々しく生きていくという点ではたしかに似たところがある。しかし、ジェイン・エアが自立した強い意志と判断力をもって自らの道を切り開いていくのにたいして、エスターは、もっとおとなしい、しかし聡明で実務的な女性として描かれている。

 エスターは、父はもとより母も知らない。育ててくれた厳格な代母からは、「あなたはおかあさんの恥、おかあさんはあなたの恥。その意味はいずれわかるでしょう」としか聞かされていない。物語はこのエスターと、彼女が一家の世話役として身請けされた荒涼館の人々、主人のジャーンダイスと美しい娘のエイダ、快活だが性格的に欠陥のあるリチャードを中心に展開される。

   資産家のジャーンダイスは、遺産相続をめぐって何十年も続く大法官裁判の当事者であるが、裁判には背を向けて生きる。この裁判は、訴訟にかけられた財産から裁判費用がまかなわれるため、長引けば長引くほど、訴訟の当人たちは損失をこうむり、やがてすっからかんになってしまう、その分、裁判官や弁護士が潤うという大変欠陥の多い制度であったようだ。この裁判にかかわって身をほろぼしたり、発狂したりする人が続出する。荒涼館のリチャードもその一人である。エスターは、リチャードとその恋人のエイダの世話をしながら、荒涼館の家事万端をとりしきり、主人のジャーンダイスから厚い信頼と愛情をうける。その間、ウッドコートという名の青年医師と知り合いになり、やがてこの青年医師から愛の告白をうけるのだが、ジャーンダイスに忠誠をつくすエスターは、これをきっぱりと断る。

 舞台はもう一つ、デッドロック准男爵、レスターとその妻で社交界に君臨する気位の高いオノリアをめぐって展開される。この家の弁護士、タルキングホーンから例の訴訟に係る書類を見せられたレデイ・デッドロックは、その文書の筆跡をみて仰天し、卒倒してしまう。なぜ彼女はそんなにショックを受けたのか? ここから、裁判所の文書を筆記した貧しい代書人と彼が住むアパートやそこの住民、浮浪者、孤児などへと話は展開し、かれらにまつわるエピソードがくりひろげられる。こうして話は、上流階級から、貧しい人々、労働者から浮浪者にまでひろがっていく。

 有力な弁護士の殺人事件もからんで話はミステリーの要素もふくみながら進行する。しかし、この作品の最大の特徴は、19世紀中葉のイギリス社会のあらゆる階級、階層の人々の姿を生き生きと活写しているところにあるように思う。貴族とそれに仕える人々、法曹界はもとより、勃興しつつある労働者階級、慈善事業やアフリカへの移民に現を抜かす夫人たち、元騎兵隊員とこの人物が経営する射的場、金貸しの老人、下宿屋、法律関係文房具をあつかう商人と、当時の社会のさまざまな階層の人々がそれぞれ個性的な姿で登場する。まさにヴィクトリア朝のイギリス社会がまるごと描かれているのである。ここにディケンズの真骨頂があるといえよう。(2018・6)

出久根達郎『漱石センセと私』(潮出版社、2018・6)

 作者は、『佃島ふたり書房』で直木賞(1993年)を受賞した作家で、1944年生まれ。古本屋を経営しながら、作品を書いてきたという奇特な経歴の持ち主である。『本のお口汚しですが』で講談社エッセイ賞、『半分こ』で芸術選奨文部大臣賞を受賞しているベテラン作家である。残念ながら、私にはなじみがなく、この人の作品を読んだのは今回が初めてである。

 タイトルから、漱石との交流をテーマにしたものかと想像していたが、そうとはいえない。漱石愛媛県の松山中学に赴任したさい下宿した家の娘、当時少女だったより江と、その夫で東大を出て福岡医科大学耳鼻咽喉科の教授となる久保猪之吉との恋愛を主題にした作品である。たまたまより江の家に漱石が下宿し、そこへ正岡子規が転がり込んできて、その同人たちが集まって句会をひらく、そんな中でより江は漱石、子規らに接しながら過ごす。この家には、爪まで黒い黒猫がいて、福をもたらす縁起の良い猫と可愛がられている。漱石が熊本の高校に転勤する際、この黒猫が漱石についていく。漱石は、鏡子夫人と結婚し、熊本で所帯をかまえる。より江は祖父とともに熊本へ漱石を訪ね、初めて会う鏡子夫人とも親しくなる。そこでたまたま東大生で夏休みの旅行中の久保猪之吉に出会う。それが機縁となって,より江と吉之助の文通がはじまる。女学校を出たより江は、東京の高等女学校への進学を決意し、受験勉強にかかる。文通相手の猪之吉に家庭教師になってほしいと依頼し、猪之吉はこれをうける。手紙のやり取りをつうじて、二人のあいだにほのかな恋心が芽生えていく。

 漱石が留学でイギリスへ旅立つと、鏡子夫人は東京の実家へ戻る。進学したより江は上京して東京暮らしになり、鏡子夫人を訪ねる。そこでイギリスから送られてくる漱石の手紙を鏡子夫人から見せてもらう。おりしも鏡子夫人に第二子が誕生し、その名前をめぐって漱石と夫人のあいだで海を挟んだやりとりがある。夫人あての手紙をつうじて、より江は漱石夫妻の家庭を垣間見る。

 猪之吉は東大卒業後やはりドイツへ留学する。そのまえにということでより江と結婚するが、こどもができない。松山に住むより江の祖父母も他界し、父も病気で介護を必要とするようになる。ドイツへ発つ夫を見送る埠頭で、テープを手にする船上の夫の腕には、例の黒猫が抱かれている。

 大略こんな話で、漱石をめぐるエピソードは色々紹介されるが、より江と猪之吉のほんわかとした恋物語である。ちなみに、より江は、『吾輩は猫である』のなかで、一七、八歳の女学生で登場する。「雪江というお嬢さんである。尤も顔は名前程でもない」「一寸表へ出て一二町あるけば必ず逢へる人相である」と、点はからい。苦沙弥先生の姪という役柄である。より江は漱石より鏡子夫人にかわいがられ、夏目家によく出入りしていたようである。

 実際にはより江は、泉鏡花の小説のモデルにもなった大変な美人で、俳人でもあった。猪之吉夫妻で『エグニマ』という文芸誌を発行し,より江が編集を担当していたという。彼女の句に「籐椅子に 猫が待つなる わが家かな」という句がある。猪之吉は、昭和一四年六四歳で、より江はその二年後に五六歳で他界している。漱石は大正五年に死去、鏡子夫人は長生きして、昭和三八年八六歳で生涯を終えている。(2018・6)

シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』(岩波文庫)

 妹のエミリ、アンとともにブロンテ三姉妹の長女の代表作である。1847年刊。さきごろ、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』を読んだので、ついでに未読のままになっていた本作に挑んでみた。読後感を一言で言えば、素晴らしい作品ということに尽きる。『嵐が丘』の方は、あまりにも異様な人物の恩讐と家族のあいだの葛藤に、人間のおぞましさの深淵をみるような気分にさせられたが、こちらはきわめてまっとうな、崇高ともいえる気品と強い意思、向上心、やさしく豊かな感性をもった主人公エアの誇りに満ちた成長を描いていて、人間の尊厳と偉大さを感じさせずにおかない稀有の作品である。イギリス文学の代表作といわれるゆえんと納得させられた。19世紀半ばに、ジェインのように自分の意思をもった自立した女性を描き出した作者の非凡な人間性に敬意を表したい。

 話は、両親に早く先立たれ孤児となって母の兄に引き取られるジェインのゲイツヘッド屋敷での不幸な少女時代から始まる。母の兄が突然亡くなると、ジェインは叔母と子供たちに疎んじられ虐められ、みじめな日々を送る。そして10歳のときに、邪魔者のように慈善施設の寄宿舎学校、ローウッド校へ送られる。清貧を口実に生徒たちにまともな食事もあたえないような学校だったが、優れた教師と友人に恵まれ、ジェインはもって生まれた才能と豊かな感性、理性と判断力をこの学校で培い、学業でも抜きんでる成績をあげて、教師に抜擢される。

 18歳になったジェインは、最も信頼していた教師が結婚とともに学校を離れたのを機に、広い社会に出て自立したいという自分の意思を実行に移す。「自由がほしい、どうしても欲しい、自由を与えてください、とわたしは祈りを捧げた」と、その時の心境が語られる。新聞広告で家庭教師に志願したジェインは、フランスで育ったおしゃまな少女のいるソーンフィールド邸に雇われる。そこで執事役のフェアファックス夫人に温かく迎えられ、ジェインは自活する家庭教師として順調な生活を始める。ちなみに、この当時、教師が女性の唯一ともいえる知的な職業であった。そして、不在だった屋敷の主人、運命のロチェスターに出会う。

 複雑な過去をもつらしいロチェスターは、ジェインを被雇用者としてではなく対等の人間としてあつかい、その豊かな感性と才能、向上心と意欲を高く評価もしてくれる。ロチェスタ―への尊敬と信頼をふかめていくジェインは、やがてそれが身分違いの思慕にかわっていくのを抑えることができない。そしておもいもよらぬロチェスターからの愛の告白と求婚。ジェインの青春に輝かしい希望の未来がひらけるかにおもえたのだが、事態は一転して破局を迎える。

 みずからの意思と決断でソーンフィールド邸を飛び出したジェインは、遠く離れたヒースの生える荒野を何日もさまよい、飢えと寒さで行き倒れ寸前になる。最後に遠くに見える灯をたよりにやっと行きついたのが、ダイアナとメアリという二人の姉妹が住むマーシュ・エンドの館である。豊かな教養を持つ親切な姉妹に保護されたジェインは、そこで姉妹の兄で牧師のセント・ジョンに巡りあう。宣教師としてアジアに出向きそこでの任務に生涯をささげる決意をしているジョンの求婚を受けたジェインは、決然としてそのもとを離れ、懐かしいソーンフィールドへ向かう。自分の意思をつらぬくジェインは、最後に幸せを手に入れるのだが、それは常識とは縁の遠い世界であった。

 物語は全編ジェインの回想として語られる。自立した人間をめざす一人の女性が迷い悩みながら自分の意思でみずからの道を切り開いていく、そこにこの作品がいまも読者を引き付けずにおかない魅力がある。(2018・5)

マイケル/ウォルフ著『炎と怒り』(早川書房)

 米トランプ政権の内情を暴露した著作で、原書は2018年1月発行。当初初版15万部の予定だったが、トランプ米大統領ツイッターで「出版差し止め」を要求したため、一躍話題になって100万部を追加重版し、発売と同時に売り切れたという。日本語版はその1カ月後に出ているからものすごいスピード翻訳である。12人の訳者による集中作業で実現したものだ。日本語版も話題になって、書店に平積されていたが、買うのも馬鹿らしいと市立図書館で予約したら、何百人かの先約があり、ようやく最近になって借り出すことができた。

 そういう経緯で期待して読みだしたが、読後感は半ばがっかりである。なによりも筆者の立ち位置があいまいで、なにを目的に取材して書いたのか定かでないことである。そのため、よく取材していることは分かるが、突っ込んだ分析もなく、筆者の主張もあいまいで、500ページに近い大著が雑然としたゴシップとスキャンダル情報にあふれているというのが率直な印象である。そもそも筆者はもともと政治的にトランプに近いジャーナリストで、大統領選挙中からトランプ陣営に入り浸っていて、トランプ政権成立後はホワイトハウスに自由に出入りしていたというから、むりもない。しかし、とにかくアメリカ政治史上他に例をみない御粗末で支離滅裂な政権が誕生したことだけはよくわかる。そんなわけで、内容の紹介というよりいくつか印象に残った事だけを記しておく。

 ひとつは、トランプ大統領を生んだ先の大統領選挙で、トランプ本人をはじめ共和党を含む政財界はもとより、右派をふくむジャーナリズムなどのだれもがよもやトランプが当選するとは予想もしなかったということである。それほど、トランプが政治家として未経験、無定見だっただけでなく、人間として知的にも人格的にも欠陥だらけの、知人からも信用されない人物だったということである。驚くべきは、そのことが選挙をたたかったトランプ陣営のほとんどの人々にとっても例外ではなかったということである。選挙を仕切って政権の首席戦略官を務めて辞任に追い込まれるスティーブ・バノンがトランプを「無能」呼ばわりしていた事実に、そのことは端的に示される。

 ふたつ目に、トランプ陣営、政権は、三つの政治的要素から成り立ち、その三つの要素の錯綜した、内紛、いがみ合い、非難と中傷合戦から構成されていたということである。その第一は、極右のティーパーティーなどに連なるスティーブ・バノンらである。トランプを操り移民問題を正面にすえて口汚い排外主義を煽りたてた中心はこの連中である。第二は、大統領首席補佐官に就いたが解任されるラインス・プリ―パス共和党全国委員長に代表される共和党主流派の人脈である。この人脈を欠いては、トランプ政権は議会対策ができないのである。第三は、トランプの娘、イヴァンカ・トランプとその夫、ジャレット・クシュナーに代表されるトランプの身内である。ホワイトハウスで大統領の身内が実権をにぎるのが、この政権の特異な性格だが、実は、イヴァンカにしろクシュナー―にしろもともと民主党系の人物で、バノンなどとは政治的色合いをいちじるしく異にしている。筆者によれば、トランプ政権内ではこの身内が次第に実権をにぎり、バノンらは排除されていくのである。

 ここから第四になるが、トランプ政権は選挙運動中から政権成立当初に顕著だった極右ナショナリズム、人種主義といった極端な傾向が多少薄まり、共和党オーソドクスに近い状態に変質してきているのではないか、ということである。筆者がそう断じているわけではないが、筆者によるとバノンらは政権から排除されて、政権に対抗して本来の右翼運動を展開しだしているという。トランプ政権と北朝鮮との対話、米朝首脳会談への動きなどに、この政権の政治的立ち位置の変化がしめされているのではないかと推量するのは早計であろうか? それにしても、トランプのような人物が、何人もの予想を裏切って大統領に当選するところに、アメリカ国民、特に白人労働者のなかでの既成政治に対する不信と不満の強さがはっきりと示されていることを、改めて痛感させられる。(2018・5)、

 

白井聡著『永続敗戦論』(太田出版)

 1970年生まれの若い政治学者の著作だが、さきごろ同じ著者の『国体――菊と星条旗』という著作を読んで、これはただものではないとの印象を受けたので、読んでみようと思った次第である。論旨がやや通らないというか、未整理なところがあって、いま一つ咀嚼しにくいのだが、日本の戦後をどうとらえるかという大問題に正面からとりくんでいる。

 冒頭、福島原発事故をめぐる日本の支配層の無責任ぶりについて、戦争と敗戦にいたる過程での戦前の支配層の無責任ぶりをそっくり再現するものと指摘する。「国体」に体現される戦前の政治体制の在り方が、基本的には戦後そのまま今日まで生き続けて来たというのである。戦争と戦前の政治体制について、きちんとした反省と総括を怠ってきた戦後政治の致命的な欠陥を突いているといえよう。

 そのうえで著者は、戦後の日本では「敗戦後」は存在せず、「敗戦」がずっと続いているという。「それは二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(―それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二面性は相互に補完する関係にある。敗戦を否認しているゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続ける限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は、『永続敗戦』という」(47~48)

 そして、この『永続敗戦』は戦後の「根本レジューム」になったという。つまり、戦後民主主義にたえず不平を言い立て戦前的価値観への復帰に共感を示す政治勢力が、「戦後を終わらせる」ことを実行しようとはしない。つまり、対米従属を当然のこととして受け入れ、敗戦=占領からの脱却、日本の真の独立、主権の回復にとりくもうとさえしない政治構造が定着してきたのである。

 このもとでの日本の「平和と民主主義」あるいは「平和と繁栄」は、主権放棄、アメリカのアジア戦略への無条件の奉仕、基地の提供と沖縄の切り捨て、冷戦の最前線を韓国や台湾に担わせるという地政学擬制によってのみの存在し得るのであって、それらは、敗戦の否認という虚構のうえにこそ成り立っているという。「総力戦に敗北することによって属国化させられるということの本来的な厳しさ」を直視するなら、「象徴天皇制と同じように、日本の戦後民主主義体制もまた米国の国益追及に親和的なものとして初期設計されたものにすぎず、主体的に選び取ることができたものではない」(147)という。

 著者によれば、「戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、戦後レジームの根幹は、永続敗戦である。永続敗戦とは『戦後の国体』であると言ってもよい。そうであるならば、永続敗戦の構造において戦前の天皇制が有していた二重性(顕教性と密教性――引用者」)はどのように機能しているのであろうか」(165)という問いかけになる。「戦争は負けたのではない、終わったのだ」――この神話が「平和と繁栄」の「顕教」であり、対米関係における永続敗戦、すなわち無制限かつ恒久的な対米従属をよしとするパワー・エリートたちの志向」が「密教」の次元だという。つまり、敗戦による主権の喪失、アメリカへの無制限の従属の続行、ここにこそ日本の戦後史の最大の問題があり、この問題に目をつむりあるいは打開しないでは、どのような平和も民主主義も虚構にすぎないというのが、著者のいいたいところである。戦後の日本国民の平和と民主主義への粘り強いたたかいの累積を著者の文脈のなかでどう評価し、位置づけるかという大きな問題が残りはするが、対米従属の解消、真の意味での日本の主権の回復こそ、大企業の支配の打破とともに日本の当面する二大政治課題とみなしてきた私たちの主張を、基本的なところで若い世代の目によって裏づけてくれている。(2018・5)

『五日市憲法』(岩波新書、2018・4))

 刊行されたばかりの新書である。著者は、1944年生まれ、専修大学教授。東京経済大学色川大吉氏のゼミナールの学生として、1968年に多摩民権運動の拠点であった五日市の旧家、深沢家の土蔵にあった資料の調査にあたり、五日市憲法を発見、いらい50年余にわたってこの憲法について研究を続けてきた。本書は、その成果を著者の研究足跡をもたどりながら紹介した貴重な文献である。著者は、大学卒業後、町田市の職員となり、町田市史の編纂にたずさわり、同市の自由民権資料館建設の責任者、同館主査を務め、国立歴史民俗博物館助教授を経て現職にある。

 五日市憲法は、「日本帝国憲法」の表題で、幻の憲法草案として知られていた櫻鳴社案とともに発見された。千葉卓三郎の署名があった。他の史料もいろいろあったので、著者は最初、大日本帝国憲法の写しくらいに思ったようである。ところが、まったく知られていなかった憲法草案で、しかもそこには、国民の人権規定に一番多くの条文をあてる進歩的な内容が込められていた。その内容の分析とともに、なぜこの憲法案が五日市で作られたのか、千葉卓三郎とはどういう人物か? 解明すべきいくつもの謎が若き著者のまえに提示された。

 この草案の内容については以下のように述べられる。「五日市憲法の特徴は、国民の権利、国会の規定を主とする立法権司法権に表れている。全体としては、多くの私擬憲法に共通する立憲君主制天皇と民撰議院と元老院で成り立つ三部制の国会、立法・行政・司法の三権分立主義をとる憲法といえる。しかし、その主眼は、三六項目に及ぶ国民の権利保障と、行政に対する立法府の優位性の位置づけ、国民の権利を周到に保障するための司法権の規定にあることは間違いないだろう」(35ページ)

 各地の結社に支えられた民権運動は1880年3月に愛国社第4回大会をひらく。そこには、全国2府22県からの総代96名が、8万7千の国会開設請願委託署名をたずさえて集う。同年11月には、国会期成同盟第2回大会が開かれ、翌年11月に開催する第3回大会に向けて各地の結社が憲法草案を起草して持ちより審議することが決定された。この決議によって、全国各地で憲法起草の作業が進められる。五日市憲法草案もその一つである。だが、政府が81年11月に国会開設の詔を発したことにより情勢が急変し、第3回大会はひらかれなかった。そのため、つくられた草案は蔵に胎蔵されることになったのである。

 五日市では、五日市櫻鳴社を核に1880年に五日市学芸講談会が結成されるなどして、演説会や討論会が活発に開かれている。当時五日市には勧能学校という学校があり、ここの教師たちがその中心になる。千葉卓三郎もその一人である。

 千葉卓三郎とはいかなる人物か?著者の探索は、学生時代から始まる。手がかりとなったのは、深沢家文書のなかから見つかった一片の紙片である。そこには、千葉が宮城県の出身であることを示す文言があった。著者はこの紙片をもって宮城県を訪ねる。以来何十年もかけて明らかになったのは、千葉が仙台藩の下級士族で、戊辰戦争仙台藩会津藩などの連合軍と薩長軍とによる白川城をめぐる戦いに参戦し、敗軍の士卒として維新後、松島で石川櫻所について医学を、つづいて鍋島一郎という人について「皇学」を学ぶ。さらに、上京してニコライ堂ギリシャ正教会で洗礼をうける。そして、ペトル千葉の名で布教にあたっている。その後、儒学者の安井息軒に師事し、さらにラテン学校に通う。そこで知り合った人の手引きで五日市の教職につき、民権運動に加わるのである。五日市憲法がこのような経歴を持つ人物によってしたためられた事実に、明治民権の歴史の重みを伺い知ることができる。(2018・5)

遠藤周作『沈黙』(新潮文庫)

 隠れキリシタン関連の世界遺産登録が話題になっているおり、書店の平台に積まれていたので読んでみる気になった。作者はカトリックの信者であるから、無神論者の私はこれまで敬遠して、作品を読んだことがなかった。この作品も、神は存在するのか、信仰とは何かという宗教者にとっては重いテーマを扱っている。

 秀吉から家康へと政権が変わり、徳川幕府は1614年、すべての聖職者を海外へ追放するとともに、過酷な弾圧にのりだす。棄教をうながす踏み絵や、むごたらしい拷問が信者を襲う。そのなかには、聖職者や信者を雲仙地獄にひきたて、湧き出す熱湯をあびせつづけて死に至らすという残虐な仕打ちも含まれていた。そんな時代、ローマ教会に一つの報告がもたらされる。ポルトガルイエズス会が日本へ派遣したクリストヴァン・フェレイラ教父が、長崎で「穴吊り」の拷問にあって、棄教を誓ったというのである。フェレイラは、ポルトガルでもたぐいまれな高潔の教父として多くの司祭、信者から尊敬を集めてきた人物で、日本での20余年にわたる布教で多くの信者を獲得する実績をつくりあげてきた模範的な教父である。

 かつてフェレイラの学生でもあった3人の若い神父が、フェレイラ棄教の真偽をたしかめるとともに、弾圧に苦しむ信者を援助するために日本への渡航を願い出る。セバスチャン・ドロリゴ、フランシス・ガルべ、ホアンテ・サンタ・マルタである。当初、厳しい取り締まりと弾圧下の日本への渡航は危険すぎると渋ったローマ教会は、3人の不退転の決意と熱意を前に渡航をみとめる。1638年3月25日、3人を乗せたインド艦隊の「サンタ・イサベル号」は出航、マデイラ、喜望峰、ゴアを経て苦難の連続をしのいで澳門マカオ)に到着する。ここで巡察師ヴァリニャーノの厳しい警告をうけながら、キチジローなるいかがわし気な日本人と船を雇い、病気のマルタを残して二人の司祭は闇に紛れて長崎付近に上陸する。推測どおり転びキリシタンだったキチジローの案内で、隠れキリシタンの集落を訪れ、信者とともにミサをおこなうなど祭司としての任務を遂行する。追及の手がせまるなかで、ドロリゴとガルべは別行動をとり、それぞれ単独で危険をおかして信徒の住む村で活動する。

 しかし、キチジローの密告によって捕らえられたロドリゴは長崎に送られる。そこで切支丹弾圧の中心となっている井上筑後の守と対座させられる。井上はロドリゴにいかなる危害も加えない。獄に繋がれて一緒に捕らえられた日本人の信者らがむごたらしい拷問のうえ殺されていくのをじっと耐える日がつづく。日本の信者を救うためには、棄教しかないと迫られる。やがて、棄教したフェレイラと対面させられる。フェレイラは、永年の布教によって信者になった日本人の神は、自分たちの神ではなかった、そのことを知って自分たちの布教が無意味であったことを悟ったと語る。むごたらしい拷問、惨殺をまえに、神はなぜ沈黙しているのか? ロドリゴの頭のなかで次第にこの疑問が膨らんでいく。

信徒を助けるためには、踏み絵を踏むしかない、神はそれを許すはずだ、それこそ本当の信仰ではないか? こうした懐疑から、ロドリゴはついに踏み絵を踏む。そして、名前も岡田三右衛門と日本名にかえて、幕府に仕えて生涯を終わる。切支丹屋敷役人の日記がその後の三右衛門の足跡をたんたんと記す。

 神はなぜ沈黙をまもるのか? この疑問への回答は存在しない。ロドリゴの決断を、世界遺産に登録される隠れキリシタンの末裔たちはどう受けとめるであろうか?疑問はいつまでも疑問のままである。(2018・5)