ジョセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』(集英社ラテンアメリカ文学11)

 ラテンアメリカ文学に接する機会はこれまでほとんどなかった。作者のドノソ(1924~)は、チリを代表する作家のひとりだそうだが、実は名前も知らなかった。どこかで、奇妙奇天烈な小説として紹介されていたので、読んでみる気になった。奇妙な作品といえば夏目漱石が若いころ紹介したイギリスのローレンス・スターン『トリスタム・シャンディー』を思い出すが、これも時空をこえたとてつもない作品で、空白のページがあったり、図形を挿入しただけで空白のページがあったりする荒唐無稽の実験的な作品である。しかしその内容そのものは、途方もなく現実離れしたものではない。

 それにくらべて、この作品は、時空を超越し、現実と非現実の境もわからない、文字通り支離滅裂、統合失調症的な作品である。それでいて、妙にエネルギッシュで不思議な熱気と生命力のようなものを感じさせる。こんな作品に出会ったのははじめてである。刊行されたのは1970年というから、左翼のアジェンデ政権が生まれたものの、アメリカのCIAと組んだ国内の大ブルジョアジーなど反動派による反革命によってむごたらしい血の海に崩壊した時代である。作者はこの作品でなにをいいたかったのか、巻末の解説ではブルジョア社会の腐敗をえぐるのが一つのねらいだったようにいうが、一読してもよくわからない。B5判で500ページに及ぶ大作で、しかも数回にわたって作者が書き直した作品だという。

 話は、老人たちが住みつくある修道院を主舞台に、口も眼も耳も不自由なムディートという老人の独白のような形で進められる。植民地時代から名門の当主であるヘロニモ・デ・アスコイティアは、同じ上流社会に属する従妹のイネスと結婚して、上院議員として政界の要人となっている。念願の子どもが生まれるのだが、これがまともに目をむけることもできない異常な奇形児である。ヘロニモは初めてわが子に対面し、即時に殺害しようと考えるが、思いとどまる。そして、腹心のウンベルト・ベニャローサ――じつはこれがムディートと同一人物――にわが子の養育を託する。そして、子どもをリンコナーダという広大な屋敷に幽閉し、そこにあらゆる種類の重度の障害児、奇形児を雇いあつめて、わが子=<ボーイ>と一緒に暮らさせるのである。ベニャローサは、その子とともに生活しながら、主人ヘロニモの伝記の執筆にとりかかるが、作業はすすまない。それどころか、大喀血をともなう病に見舞われ、衰弱して歳をとり、ヘロニモが出資している修道院に送られる。そこでムディートと名のって、老婆や孤児たちと一緒に暮らしながら、悪夢のような自分のおぞましい過去と生い立ちを語る。

 この修道院では、数人の老婆たちが一人の少女をかくまい、その出産の準備をしている。老婆たちはこの少女は処女受胎で、マリアの受胎につぐ奇跡の再現だと考えている。しかし、実は、少女の恋人のお面のようなものをかぶったムディートが、恋人になり代わって孕ませたのかもしれない。それどころか、ヘロニモの妻、イネスの妊娠も、ヘロニモに代わったムディートの行為に責任があるようにも語られる。しかし、それらが現実なのかムディートの妄想かは定かでない。だいたい、老衰して死にかかっているムディートに少女を妊娠させることなど不可能のはずだが、このあたりに、時空を超えたこの作品の奔放さがしめされている。

 裕福なブルジョア、地主の世界の行く末を、おぞましい奇形児と障碍者の群れで象徴させているといえなくもない。老婆と孤児が生活する修道院のみじめな姿に、カトリックへの皮肉をこめているともとれないこともない。しかし、この作品がかもしだす世界はそんな単純化を許さない不思議で異様な熱気とエネルギーに満ちている。(2018・4)