野山の恵み

 敗戦をはさんで子どもたちにとって最大の関心事はなんといっても食べ物であった。その点、山の中の暮らしは苦しかったとはいえ、自然の幸に恵まれていた。世界的な豪雪地帯で冬は2メートルを超える雪が積もり、集落全体がすっぽり雪に埋もれたが、3月末の雪解け時になると、雪のなかから小川の流れや田の畔がぽっくりと少しずつ姿をあらわし、そこに芹や蕗のとうが顔を出す。これは早春の最初の山菜である。春の香りを運ぶ芹を摘み、蕗のとうを採って、おひたしやみそ汁の具にした。田畑がまだ大半雪に覆われているなかで、唯一新鮮な野菜であった。しばらくすると、ワラビやゼンマイが生えてきた。これは大量に採集し、乾燥させて保存食として冬まで食べつづけた。そのころには、タラの芽や野生のウドも収穫できた。

 雪が解けて山桜が咲くとそのあとに小さな赤黒い実がなる。これが子どもたちの貴重なおやつだった。そして桑の実が実ると、これも加わる。赤黒い果汁で口の周りをべっとりと汚しながら夢中になってほおばった。おなじころ、田の畔にスイカシ(スカンポのこと)が生え、道路わきの斜面にイタドリが伸びてくる。ちょっとすっぱくて美味しいものではないが、これも子どもたちにとって欠くことのできない補助食であった。

 沢筋の棚田での稲作が主体の地域だったが、畑ではいろんなものが栽培された。とりわけ、ジャガイモ、カボチャ、サツマイモ、サトイモなどが主食がわりに毎日のように食膳に出され、随分お世話になった。大家族だったわが家では、大きなザルにいっぱいに盛りあげたイもやカボチャがあっという間にそれぞれの胃の中に納まっていった。食料が十分出回るようになったころ、もう二度とカボチャやイモは食べたくないと思ったものだ。

 お米を節約するためだったのだろう、わが家では雑穀を粉にしてつくる“やきもち”なるものをよく食べたのを思い出す。精米をするさいにはじき出された未熟で不良品の籾に粟、稗などもまじえたものを粉にして、おにぎりのようににぎって囲炉裏の火にあぶって焼くのである。まずいことこの上ないのだが、これを食べ終わらないと白米を口にしてはならないという決まりになっていた。砂糖など甘味料はいっさいないので、秋になると柿の実の皮を干してこれを粉にして“やきもち”にまぶした。乾燥させた柿の実の皮はほのかな甘みがあって、甘味料の代わりになったのである。こうした粗末な食事ではあったが、都会で多くの人々が飢えていたのに較べたら恵まれていたと言えるだろう。

 秋になると、自然の恵みは豊富だった。まず野生のクリである。芝栗といって小粒だが、生でも食べられ、クリご飯にしても美味しい。どの農家の庭先にも植えられていた柿の実もごちそうだった。柿の木は折れやすく、実を収穫するために木に登って、枝が折れて墜落する事故が絶えなかった。忘れがたいのは山に自生するアケビの実である。うっすらした青紫色の皮に挟まれた実は、熟しきると透きとおるようにつややかとなり、その甘味は何とも言えない味わいがあった。残念なのは種が多いことで、アケビの実に種がなかったらどんなに素晴らしいだろうと、つねづね思ったものである。将来、研究者になって種なしアケビの栽培に挑もうか、と本気で考えたこともあった。ヤマボウシの実もよく食べた。これも甘酸っぱい独特の味わいがあった。こうして野山の恵みのおかげで、食欲旺盛な山村の児童たちは、戦争をはさんでなんとか飢えをしのいだのである。