オールコック『大君の都――幕末日本滞在記』(山口光明訳、岩波文庫上中下)

 カール・マルクスが『資本論』のなかで、19世紀中葉の日本について紹介し、その社会が西ヨーロッパの12世紀ころの封建時代にそっくりだと述べている。マルクスの認識の源となったのが本書だということは、不破哲三氏の紹介で知っていた。しかし、これまで実際に読む機会はなかった。たまたま、幕末の廻船商人で船乗りの高田屋嘉平(1769~1827)をえがいた司馬遼太郎の『菜の花の沖』に目を通したのを縁に、嘉平の後半生のネタ本と考えられるロシア人・グロヴニンの『日本幽囚記』(岩波文庫)を読んでみる気になった。グロヴニンは、1812年千島列島の国後島で幕府にとらえられ、北海道の函館、松前に護送されて幽囚された23ヶ月にわたる体験を記している。それ自体、幕末の日ロ関係を知るうえで貴重なのだが、この著作には、グロヴニン救出のため日本船を拿捕して船長の高田屋嘉平らを人質にして対幕府交渉に当たったリコルドの手記も収められている。そこでは、拿捕された高田屋嘉平の人格と識見に感服したリコルドが嘉平を信頼し、その助言にしたがって対日交渉を進める様子がリアルに描かれていて、大変興味深かった。そんなことがあってこの機会に初代駐日公使のオールコックの日本滞在記に挑戦することにした。

 前置きが長くなったが、オールコックは日英修好条約が結ばれた翌1859年5月に来日、62年に日本の遣欧使節派遣を機に一時帰国、64年まで日本公使を務める。本書は、初来日から一時帰国までの2年余を扱っている。日米和親条約、日米修好条約に続くこれらの条約は、欧米列強の圧力のもと、幕府が万策尽きて応諾したもので、国内には鎖国継続,攘夷路線を死守しようとする勢力が跋扈していた時期である。だから、駐日公使への就任は、当事者にとっては文字通り命がけである。幕府自体が、江戸への駐在をなんとか回避し、開港した横浜居留区に閉じ込め、日本人との交際も通商も最小限に押しとどめようと躍起になっている時代である。オールコックの滞在中に、ロシア人が襲われ、アメリカ公使館のヒュースケンが惨殺され、イギリス公使館自体も二度にわたって襲撃されるという状況が続いた。そうしたなかで、条約にもとづく滞在外人の身の安全と権利の行使を確保し、日英関係を正常に発展させるには大変な苦労と英断が必要とされた。オールコックは、大英帝国公使という公的な立場とともに、豊かな教養と長い中国滞在に裏付けられた公正で冷静な文明観をももつ知識人として、初めて訪れた日本と日本人、日本社会をつぶさに観察し、得意とするデッサンをふくめて克明に記録している。詳細を紹介するわけにいかないが、そこにみられるいくつかの特徴を記しておきたい。

 一つは日本の自然の美しさと肥沃、人々の質素だが清潔で勤勉な暮らし、独自の文明に率直に感銘し、高い評価を与えていることである。ほんの一例をひく。「ヨーロッパ人と日本人の政治と文明についての感想は、この土地を一歩一歩足でふみしめるごとに強まってくる。この土地は、土壌と気候の面で珍しいほど恵まれており、その国民の満足そうな性格と簡素な習慣の面で非常に幸福でありつつ、成文化されない法律と無責任な支配者たちによって奇妙に統治されている」「かれらの文明は高度な物質文明であり、すべての産業技術、蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている」

 第二に、すでに述べたが日本社会が西欧ではすでに存在しない封建社会を絵に描いたように再現しているということである。「進歩や改善というものにたいする楽観的な希望の実現を妨げる力となっている悲観的な要因のなかには、まず第一に日本人の封建的諸制度があり、第二には間諜制度にもとづく高度に人為的な不健全な政治組織があると、私は考えている」 このような指摘もある。「支配者と被支配者の根本的な関係には、本質的な変化が生じつつある。全封建権力が大きくゆり動かされ、その政治的・社会的組織は、ヨーロッパとの突然な接触の衝撃によって崩壊しつつある」 これは、数年後に現実となる幕藩体制の崩壊、明治維新を予言するものともいえる。

 第三に、条約にもとづいて駐在する外国人の生命と安全さえ確保できない幕府の無力と軟弱、背信にたいする痛烈な批判である。外国人をかつての長崎の出島でのオランダ人と同じように扱おうというのが幕府の基本方針で、外国人の行動の自由を制限し、オールコックらの再三の抗議によって警備の護衛部隊が配置されても、その武士たちがまったく無能で、テロ集団の襲撃に立ち向かおうとさえしない状況などにたいして、厳しい批判を繰り返し論じている。ここには、外人居留をきらい、その安全をまもろうとさえしない、あるいはできない幕府の支配の実態が如実に反映されていると言えよう。とにかく幕末から維新にかけての激動の日本の一断面を体験にもとづいて語る貴重な生史料である。(2020・11)