川越宗一『福音列車』(角川書店、2023、11)

 

    作者は、一九七八年生まれの若い作家だが、サハリンを舞台に亡命ポーランド人と北海道から移住したアイヌの交流を主軸にしたスケールの大きな作品で直木賞を受賞している。キリシタン小西行長の孫を主人公とする『パション』という歴史小説もある。

 本作は、明治維新から第二次大戦での敗戦に至る日本近現代史で節目をなす五つの時代に焦点を当てた五編の短編からなっている。それがとてもユニークなのは、それぞれの時代について、日本の国内ではなく国際的な視点で舞台を設定し、したがって登場する日本人にもそれぞれインタナショナルな人格が付与されていること、その意味で、これまでの日本の多くの近現代小説とは一味違った人間模様が繰り広げられ、なるほどと感服させられる。

 冒頭の「ゴスプレ・トレイン」は、本書の表題にもなっている作品で、明治維新後におこった西南戦争の三年前、アメリカに留学しメリーランド・アナポリス海軍兵学校に学ぶ鹿児島出身の島津啓次郎が主人公である。島津は、たまたま耳にした黒人の霊歌「ゴスプレ・トレイン」に魂をゆさぶられ、徹底した人種差別で虐げられていた黒人たちと交わり黒人専用のみすぼらしい教会にはまりこんで、黒人と一緒に黒人霊歌を歌い、黒人聖歌隊にも加わる。肝心の海軍兵学校はある意味でそっちのけの日々を送のである。そして帰国したとたんに西南戦争に巻き込まれる。鹿児島出身の島津は当然のように西郷軍に参戦、敗北を重ねて最後に立てこもった城山で戦死するのだが、その最期に「福音列車が来る。さあ乗り込もう」と、叫ぶようにゴスペルを歌う。維新後の不平等条約のもと白人社会で人種差別にもさらされた日本の留学生が、もっとひどい差別に耐える黒人たちに心を通わせても不自然ではない。しかし、そんなところに目をすえるこの作者の独特の感性に感服させられる。

 第二作「虹の国のサムライ」は、薩長政権のもとで没落し、生活にも窮する徳川幕府の旧臣、弥次郎が、ハワイ移民に活路を求め、ハワイで農民として自活の道を開こうとする話。第三作の「南洋の桜」は、ミクロネシアで怪死した米軍将校を追い、そのなぞ解きに挑戦する帝国海軍航空隊を志願していた宮里という青年将校の話である。どちらも、日本の太平洋諸島への進出を背景にした、そこでの人間模様を描いた作品である。第四作「黒い旗のもとに」は、一転してシベリア出兵に動員された鹿野三蔵が、住民に残虐行為を働いて恥じない軍の非人間的な所業に耐えかねて脱走、モンゴル平野で馬賊に加わり、やがて内モンゴル独立運動に参加していく話。広大なモンゴル平原を舞台に、日本軍のシベリア出兵とモンゴル独立運動という歴史の一こまを描いた雄大な作品である。

 最後が「進めデリーへ」である。ビルマを占領した日本軍が、太平洋戦線で敗色が濃くなるもとで局面打開を目的にビルマからインドの要塞、インパール奪還を図る史上最大ともいえる無謀な作戦を展開し、補給もないまま熱帯の山岳地帯で飢えとマラリアなどの伝染病で何万という兵士たちが犠牲になった。この作戦には、日本の支援でインドの独立をめざすチャンドラ・ボーストその軍隊も参加、そこには女性部隊もまじっていた。そのなかには、神戸に住んでいたインド人実業家の娘、ヴィーナもいる。やはりインパール作戦に従軍していた日本人将校の蓮見孝太郎は、大学でヒンズー語を専攻していたため、日本軍のマレーシア、コタバル上陸作戦に起用され、めぐりめぐってチャンドラ・ボースの通訳を任務としてこの作戦に参加していた。蓮見は、神戸時代のヴィーナと顔見知りである。敗色濃厚ななかででヴィーナは一大決心をして部隊を離れ単身インドへの入国を目指すのだがその先に待っていたものは? そして蓮見は?

 たまたま、岩波現代文庫の最新刊書であるNHK取材班による『戦慄の記録 インパール』を読んだばかりだった。そのこともあって、五編の連作のなかで最後のこの作品が一番印象に残った。アジア・太平洋における日本の侵略戦争は、「白骨街道」で知られるインパール作戦のような悲劇とともに、歪んだ形ではあれインド独立運動に深い影を落としていたことを見落としてはならない。(2023・12)