読書

ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』(吉澤康子訳、東京創元社、2020・4)

たしか「朝日」が書評欄でとりあげていたので、読む気になった。妙な表題だが、現題は“The Secret We Kept”である。作者は、アメリカのグリーンズバーグ出身の女性で、アメリカン大学で政治学を学び、テキサス大学で美術学の修士を取得、執筆活動を始める前…

小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫)

1994年に発表された作品だが、世界的に権威のあるブッカー賞の今年の最終選考候補6作のひとつにはいったことからマスコミでも話題になった。作者は、ナチスの迫害から逃れて隠れ家にひそんだ少女の手記『アンネの日記』に特別の思い入れをもち、これに…

川端康雄著『ジョージ・オーウェルーー「人間らしさ」への賛歌』(岩波新書、2020・7)

ジョージ・オーウェル(1904~1950)と言えば、『1984年』『動物農場』『カタロニア賛歌』がすぐ頭に浮かぶが、スペイン内戦のさい反フランコ派の国際義勇軍の一員として参加し、その体験をもとにスターリン専制体制を告発する近未来小説『19…

ベルンハルト・シュリンク『オルガ』(松永美穂訳、新潮社、2020・4)

『朗読者』で知られる作者の最新作である。ドイツ東部の貧しい家庭に生まれたオルガは、両親を病で失い、孤児となって祖母に育てられる。祖母は、スラブ系の血を引くオルガに終始冷淡な態度で接する。そのため、幸せとはいいがたい日々を送るオルガだが、ま…

ル・クレジオ『隔離の島』(中地義和訳、筑摩書房、2013)

新型コロナ禍を機に、感染症の流行を題材にした作品をいくつか読んできた。カミユ『ペスト』、スティーブ・ジョンソン『感染地図』、高島哲夫『首都汚染』、小松左京『復活の日』などである。ル・クレジオの本作は、感染症の流行そのものを直接テーマにして…

柚木裕子『慈雨』(集英社、2016・10)

作者も作品も知らなかったのだが、確か『朝日』が書評で取り上げていたのを目にして読んでみようかという気になった。図書館で借りだしの予約をしたら、先約が何十人もいて半年もたってようやく手にすることが出来た。当世、人気作家のひとりである。196…

北杜夫『白きたおやかな嶺』他(全集3巻、新潮社)

1965年、京都府立大山岳会がヒマラヤ山脈に連なる未踏峰だったカラコルム山脈中のディラン(標高7273メートル)に挑戦する。ディランは、それ以前にイギリス隊、ドイツ隊などが登攀を試みているが、いずれも失敗している。一見、氷河の先にそびえ白…

深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)

作者は1983年生まれ、『オーブランの少女』(東京創元社)でデビュー、他に『戦場のコックたち』(東京創元社)などの作品がある。まだ新人と言ってよいであろう。 本作は、1945年5月にナチス・ドイツが連合国に無条件降伏し、ソ連、米英仏の4か国に分割占領…

北杜夫『夜と霧の隅で』他(全集第2巻、新潮社、1977年)

同じ作家の代表作である『楡家の人々』にとりくむ機会があったので、作者の出世作で芥川賞を受賞したこの作品も読んでみようという気になった。1960年に発表されている。精神科医でもあった作者が全集の「年報9」に記しているが、「この題材は精神科医…

小松左京『復活の日』(角川文庫)

コロナウイルスで緊急事態宣言が出されたのを機に、カミユ『ペスト』、スティーブ ン・ジョンソン『感染地図』、高橋哲夫『首都感染』と、感染病の流行をテーマにした 作品を読んできた。その締めくくりでこの小説に挑戦した。1964年に発表された作 品だ…

高島哲夫『首都感染』(講談社文庫)

コロナウイルスによる自粛休業していない数少ない書店の平台にうず高く積まれていたので、つい購入してしまったが、時宜にかない中々よく書けた作品である。2010年に発表されているから、10年前ということになる。 H5NI新型インフルエンザがサッカーの…

スティーヴン・ジョンソン『感染地図』(矢野真千子訳、河出文庫)

作者は、ニュー・ヨーク・タイムズ・マガジンのコラムニストで、科学ジャーナリスト。19世紀イギリスのいわゆるヴィクトリア時代にロンドンで発生したコレラの集団感染をめぐって、その原因解明にとりくんだ医師、ジョン・スノーと、牧師のヘンリー・ホワイ…

ミラン・グンデラ『冗談』(西永良成訳、岩波文庫)

チェコ生まれ(1927年)の作者が、1967年に発表した作品である。第二次世界大戦中ナチスに占領されたチェコは、ソ連軍の進攻で解放されて祖国をとりもどし、新しい国づくりにとりくむ。希望に燃える青年たちは、理想にむかって若者らしい情熱を注ぎ…

池井戸潤『鉄の骨』(講談社文庫)

2010年の吉川英治新人賞を受賞した作者の代表作の一つとして広く知られているが、購読の機会がなかった。このほど文庫化されたので読むことにした。やはり面白く、700ページ近い長編にもかかわらず、一気に読み上げた。ひところ大きな社会問題になっ…

アルベール・カミユ『ペスト』(宮崎峰雄訳、新潮文庫)

新型コロナ・ウィルスによる緊急事態宣のもと、カミユの『ペスト』を読んだ。第二次世界大戦直後の1947年に発表された作品で、執筆されたのはフランスがナチスに占領されていた時期に重なる。フランス政府はナチスに屈したが、ナチスに対するフランス人民…

吉田裕『兵士たちの戦後史』(岩波文庫、2020・2)

もともと『シリーズ戦争の経験を問う』(岩波書店、2011)の一冊として刊行された著作である。内容的には、評判になった『日本軍兵士』(中公新書)の続編といえよう。 日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者は230万人といわれる。そのうち、栄養失調によ…

門井慶喜『定価のない本』(東京創元社、2019・9)

作者は2018年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞している。1971年生まれである。本書のタイトルは、古本のことである。古書には定価がない。古本屋は古書をいくらで売ろうと自由である。古本はそこに無尽の文化や歴史が内蔵されていることから多面的…

北杜夫『楡家の人びと』(全3部、新潮文庫)

この作品に特別の思いを込めたエッセイをたまたま最近ある新聞で読んだことが一つのきっかけになって、そのうちにと伸ばしてきた本作にいどむことになった。1964年に刊行されているから、すでに半世紀余を経ていることになる。三島由紀夫がこの作品につ…

村田紗耶香『コンビニ人間』(文春文庫)

多様性を認めない画一化され不寛容な世界では、個性をもった人間らしい人間は生きていけない。大量生産による規格化された商品の世界は、その典型であろう。そういう大量生産商品の流通を末端で担うのがコンビニである。「いらっしゃいませ」「ありがとうご…

ギュスタヴ・フローベール『感情教育』(生島遼一訳、岩波文庫上下)

『ボヴァリー夫人』『サラムボー』につづいて作者が1864年から5年がかりで書き上げた代表作の一つである。舞台は、1848年の2月革命をはさんで、ルイ・フィリップの7月王政の時代から共和制へ、そしてルイ・ボナパルトのクーデタによってふたたび…

ギュスターヴ・フローべーール『ボヴァリー夫人』(芳川泰久訳、新潮文庫)

だれにとっても、一度はと思いながらなかなか目を通す機会がなかった名作がある。フローベールの『ボヴァリー夫人』が、わたしにとってそうした作品の一つであった。書店でもよく目にするのだが、なんとなく敬遠してこんにちにいたっていた。さきごろ、同じ…

ギュスターヴ・フローベール『サラムボー』(中條屋進訳、岩波文庫)

フローベールといえば、知っているのは『ボヴァリー夫人』『感情教育』くらいで、『サラムボー』などという作品の存在すら聞いたことがなかった。まったくお恥ずかしい次第である。昨年末、たまたま書店で目にして、こういう作品が存在し、訳本が初めて出版…

新春の甲斐大和・嵯峨塩館へ

正月のうちにどこか温泉へ一泊旅行でもと、例によって次女の提案で、中央線甲斐大和駅から大菩薩峠にむかう山道を奥深く入ったところにある一軒宿、嵯峨塩館で一泊ということになった。嵯峨塩館というのは、武田信玄の隠し湯だったところにあり、明治35年…

川越宗一『熱源』(文芸春秋社、2019・8)

作者は1978年生まれというから、40歳そこそこである。2018年に『天地に燦あり』という作品で第25回松本清張賞を受賞した新人である。本作は、北海道の北に浮かぶ極寒の島、樺太(サハリン)を舞台に19世紀の後半から第二次世界大戦の終わりま…

アビール・ムカジー『カルカッタの殺人』(田村義進訳、早川書房、2019・7)

第一次世界大戦後の1919年、英国の植民地だったインドのカルカッタを舞台にした異色の推理小説である。作者は、インド系の移民二世のイギリス人で、会計士をしていたが、40歳で自らのアイデンティティー確立のために一念発起して稿をおこしたという。 …

紅葉の谷川温泉

この夏、格別の猛暑もあって冷房の効いた自宅に閉じこもったまま、避暑を兼ねた恒例の山旅にもいかなかったので、紅葉を見にでかけようかということになったが、さてどこに行くか迷ってしまう。娘に相談したら、谷川温泉を紹介してくれた。距離的にも手ごろ…

乙川優三郎『R・S・ヴィラセニョール』(新潮文庫、2019・11)

作者はよく練られた文体で時代小説を書く作家として知られていた。数年前に『脊梁山脈』という大作で現代を描いて話題になった。今回の作品は、タイトルからしてどういう作品なのだろうと、思わせる意外性がある。レイ・市東・ヴィラセニョールという染色家…

篠田節子『ブラックボックス』(朝日新聞出版、2013)

ここのところ同じ作家の作品をいくつか読み続けてきた。本作 は、日本の農業が直面する課題と食の安全、研修を名目に劣悪な労 働条件のもと働かされる外国人労働者の問題など、極めて今日的な 社会問題にいどんだ力作である。朝日新聞で2010~11年に …

篠田節子『冬の光』(文春文庫)

玄人顔負けの腕で洋包丁を研ぎ終えた夫が、「勝手口に立つ妻に呼びかけ、柄の方を向けて手渡す。妻は無言で受け取る。ふっくらした右手で柄を握り、不意に尖った刃先をまっすぐにこちらに向けた。息を呑み、その手先と顔を交互に見る。研ぎ上げた刃先から青…

平野啓一郎『マチネの終わりに』(文春文庫)

芥川賞受賞作家であることは知っていたが、自分の娘たちより若いこの作者の作品をこれまで読んだことがなかった。最近新聞の書評欄で「ある男」というごく最近書かれた作品についての論評を読み、興味を惹かれ読んでみた。若くして事故で亡くなった夫の身元…