エリフ・シャファク『レイラの最後の10分38秒』(北田絵里子訳、早川書房)

 カナダの集中治療室勤務の医師らの報告によると、臨床死にいたった患者が、生命維持装置を切ったのち10分38秒間も生者とおなじく脳波を発し続けたという。本作はこのニュースに興味をひかれた作者が、“人はそのわずかな時間に何を思うのだろうか? もし人生を振り返るならどんなふうに?”という想像のもとに書き上げたという。作者は、フランス生れのトルコ人の女性で、現在はイギリス在住、最初はトルコ語で、いまは英語で作品を書いているという。国際関係の学士号、ジェンダー・女性学の修士号を持ち、女性と児童の人権擁護活動もおこなっている。1971年生まれ。

 主人公のテキーラ・レイラは、トルコの首都イスタンブールで認可された娼館に働く娼婦である。ある日の朝、彼女は何者かに殺害され、高級ホテル近くにあった金属製のごみ箱に閉じ込められているのを発見される。このレイラが、殺されてから脳の働きが終わるまでの10分38秒の間に何を思い起こしていたであろうか、というのが本作の第一部である。

 トルコの東方にあるヴァンという小さな町で生まれ育ったレイラが、そこでどのような少女時代を送ったか、なぜ家を飛び出し、イスタンブールへ赴いたか、そして娼婦になったのか、娼婦としてどんな暮らしをしていたのかが、分刻みで追想され、リアルによみがえらせられる。ヨーロッパとアジアの中間にあり、イスラム教が支配的なトルコでは、イスラム文化のもと一夫多妻の家父長制家族が支配的である。

 美しく無邪気で活発な少女として育つレイラは、ある日突然、父の弟にあたる叔父に性的虐待をうけ、いらいだれにも相談もできずに、つらい日々を送る。近くに住む女性薬剤師の息子、シナンだけが彼女の話し相手であり心の慰めであった。やがて妊娠し、それが発覚する。世間体と家族の平穏を優先する父は、彼女に意にそわない結婚を強制することで事を納めようとする。いたたまれなくなったレイラは、わずかな金を持って家を出て、身寄りも伝手もないイスタンブールへ逃亡する。そこで所持金もすられ困り果てているところへ親切な声をかけてきた男の手で、たちまち転落、娼婦にさせられるのはあっという間であった。

   公認の娼館で娼婦たちは、定期的な診察の強要と違法な営業などを理由とする警察への留置が繰り返され、最下等な身分として社会的な差別と蔑視にさらされる。そんななかでレイラは、ソマリアレバノンアナトリアなどからの難民や、トランスジェンダーの女性ら、レイラと同じような苦しみと貧困を強いられてきた若者と親密な関係を築いていく。

 舞台は,1960年代から70年代にかけて、ベトナム戦争があり、アメリカ軍のトルコ駐留に反対するデモなど反体制運動も盛んにおこなわれた時代である。そんななかで、レイラは、左翼学生でデイー・アリという男性と巡り合い、この男性と結婚することによって初めて人間らしく幸福な生活を手に入れる。これはまさに奇跡といってよいのだが、レイラと一緒にデモ行進に参加したアリは、政府軍の一方的ないっせい射撃に遭遇して、混乱のなかで命を落とす。レイラはふたたび娼婦に戻るしか道はなかった。

    話はこのように、トルコの不幸な女性がたどる救いのない悲しい物語なのだが、レイラと友人たちの虐げられたもの同士の人と人とのつながりが、とても暖かく爽やかで、それがこの物語の救いになっている。

 第二部では、話は一転、奇想天外な展開を遂げる。身寄りのない遺体としてレイラは、「寄る辺なきものの墓」に埋葬される。墓石もなければ、墓碑もない、番号札があるだけの無縁墓地である。いくらなんでもそんな扱いが許されるか? レイラの友人たちは相談してある決断をする。以下は、ネタばれになるので書けないが、死後もみじめで不自由な扱いを許せないという、友人たちの人間としての叫びと英断が、自由を求める不幸な人びとの共感を呼ばずにおかない。(2020・11)