赤木雅子、相澤冬樹『私は真実が知りたい』(文芸春秋、2020・7)

    森友学園問題をめぐって衆院予算委員会で野党に追及された安倍前首相が、「私や妻がこの認可に関与、あるいは国有地の払い下げに、もし関わっていれば総理大臣をやめる」と啖呵を切ったのは、1917年2月17日であった。すべてはそこから始まった。

    当時財務省理財局長だった佐川宜寿氏が関西財務局にたいして、不当な安値での国有地売却に関係する公文書を改ざんし、安倍首相夫妻とのかかわり、あるいはそれを疑わせるような箇所をすべて削除するよう指示、関西財務局幹部は否応なしにその指示を執行する。実際の作業を担当したのは、近畿財務局の国有地管理官であった赤木敏夫さんであった。休日で家族と出かけていたところを上司に呼び出され、理不尽な指示に従えないと抵抗はしたものの執行を手伝わされたという。日ごろ朗らかで、趣味もおおく、国家公務委員であることに誇りをもつ愛妻家であった俊夫さんは、この日を境に人が変わったように無口になり、自責の念に苦しみだしたという。そして鬱病を発症、1年後の3月7日、仕事から帰った妻の雅子さんが自宅で縊死しているのを発見する。

    本書の前半は、夫の死をまえにただ茫然として泣くだけの弱い女性だった雅子さんが、最初はおもいもよらなかった夫の遺書の公開にふみきり、国と佐川氏を相手に訴訟を起こすにいたるまでを、ありのままに記した手記である。後半は、雅子さんによりそい、援助し激励しながらいっしょに行動してきた元NHK記者の相澤冬樹氏による、森友問題の真相追求の取材レポートである。相澤氏は森友問題の追及を理由にNHKを事実上追い出された人である。雅子さんとの出会いから訴訟に至るまでの主としてラインによる対話もありのまま紹介されていて好感が持てる。

   雅子さんの筆は、俊夫さんとの最初の出会いから平凡だが幸せな結婚生活の日々に始まる。それが、森友問題で公務員としては絶対にあるまじき犯罪に加担させられたことで一転する。悩みぬいた俊夫さんが死の直前にしたためた遺書には、森友学園の「国有地売却問題について、「財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因です。この対応に心身ともに痛み苦しんでおります」とあり、「すべて、佐川理財局長の指示です」「パワハラで有名な佐川理事長には誰も背けないのです」ともはっきり書かれている。佐川氏への更に上からの指示があったかどうかはわからないが、安倍首相夫妻の窮地を救うための忖度による指示だったことは間違いない。

    ところが、安倍首相がこの佐川氏を国税庁長官にとりたて最大限の優遇をしたのであるから、世間の厳しい批判の声が上がったのは当然である(その後、公文書改ざんの事実が否定できなくなった佐川氏は国税局長官を辞任している)、夫の苦悩に寄り添いながら、死を見届けてなすすべもなかった雅子さんは、事件関係幹部が、現場職員に罪をなすりつけて白を切るばかりか、栄転し出世していくという、あまりにも無責任で恥知らずな姿や言動に憤りをつのらせ、夫の犠牲を無駄にするわけにいかないという気持ちを次第に強めていく。そして最初は、世に出すことも恐れていた夫の遺書の公開から訴訟にまで踏み出すのである。一人の女性をわずかのあいだに国家権力の不正に毅然とたちむかう強い人間にまで成長させた、その最大の力は、夫への愛情であったといえるだろう。

   元NHK記者の相澤氏についても、一言しておく。相澤氏がマスコミに不信を募らせる雅子さんの信頼をかちとり、ともに行動するに至る最大の要因は、氏が弱い者の立場に立って、社会的弱者に寄り添う姿勢を一貫して堅持していることによるとおもう。俊夫さんの遺書を手にしながら雅子さんがその気になるまでそっとしておいたのは、そのなによりの証と読んだ。これからのいっそうの活躍を期待したい。最後に、訴訟のためできることがあれば力を貸したいとおもう。(2020・12)