高橋徹著『「オウム死刑囚 父の手記」と国家権力』(現代書館)、2023、7)

 2018年7月6日、予告もなく突然、麻原彰晃オウム真理教の幹部7人の死刑が執行された。そのなかに、教団の諜報省トップといわれた麻原の腹心、井上嘉浩がいた。地下鉄サリン事件の主犯のひとりで、15歳、高校生の時に麻原と出会い、その教えと人物に心酔し、以来麻原に絶対服従しその指示を忠実に実行してきた。本書は、この嘉浩の父が書いた手記を中心に、多くの犠牲者を出した凶悪犯罪の犯人とその父の苦悩と、贖罪、改悛の日々を、たどったドキュメントである。筆者は、1958年生まれ、北陸朝日放送の記者で、原発問題や旧陸軍の「731部隊」問題などを取材してきた人である。

 まずなによりも胸を打つのは、自分の息子が地下鉄サリン事件の犯人として逮捕されたニュースを前に、驚愕し、動転するとともに、親としての責任を自らに問い詰め自分を責めてやまない父親の苦悩である。息子が多感な少年時代、仕事人間で家のことを顧みず、妻との不和で家庭内にぎすぎすした暗い空気が支配し、息子にとって心の休まる所がなかった、それが麻原との出会いでオウムに走る何よりの原因だったのだ、だとすれば、親としての自分にこそ罪がある、多くの犠牲者やいまなおサリンの後遺症に苦しむ被害者やその家族になんといって詫びたら良いのか、父の苦悩は深まるばかり、とどまるところを知らない。加えて、マスコミによる狂乱のような取材攻勢で、プライバシーもなにもあったものではない。とりわけ、一日中家に居る妻はたまったものではない。完全な家庭破壊、平安な日常生活の崩壊である。日頃多くの犯罪ニュースに接するが、犯人、加害者の家族の苦悩と生活破壊についてはつい見逃しがちだが、その深刻さに改めて目を向けさせてくれる。

 つぎに、井上嘉浩本人についてである。もともと頭もよく真面目で優しい性格の持ち主であった彼は、父親の苦悩に充ちた説得もあって、逮捕後の獄中でオウム真理教と麻原の正体を見破り、教団、教祖から離脱する。そして、これまで自分がおこなってきた犯罪をありのままに告白するとともに、被害者に謝罪し、捜査に積極的に協力するようになる。多数の死傷者という償いようのない罪をどうあがなうのか、真面目に自分を見つめ、自分を責め、自分に何ができるかを問い続ける。その真摯な姿もまた、読む者の胸を打つ。15歳の時に麻原出会いさえしなかったら、この人は全く違った人生を歩んでいたであろう。そんな想いが湧くのを抑えがたいし、それだけにオウムというカルト教団の罪をきびしく問わずにおれない。

 三つ目に、2009年末に最高裁で死刑判決が確定してから、死刑執行までの間、死刑囚とその家族が置かれるきわめて劣悪な状況についてである。死刑囚は面会も通信も極度に制限され、およそ人間らしい扱いを受けられない。外部交通者は5名と親族に限られ、本の出版を申請しても許可が下りない。本書で初めて知ったのだが、2015年に国連総会で採択された被拘束者処遇最低基準(通称マンデラ・ルール)があり日本も支持した。ところが、その基準が全くといってよいほど守られていないのである。

 そのうえ、死刑の執行は、本人にも家族にも、予告も事前の通告もなく、ある日突如執行されるのである。井上の場合は、一審が無期懲役で、高裁、最高裁で逆転死刑判決となり、本人から再審請求が出され、それについて協議中であった。ところが本人には処刑当日の朝知らされ、家族はテレビニュースで知った後に、拘置所から「今日朝、刑が執行されました」との電話があっただけというのである。これでは、本人も家族もたまったものではない。時の法務大臣は今話題の上川陽子であった。「飲み込んではいけないものを飲み込んだ感じ」というのがそのときの父の言葉である。本書が『「父の手記」と国家権力』という表題をあえて選んだのも納得できる。(2024・2)