池上俊一著『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書、2024・3)

 ヨーロッパの中近世史の暗黒部として魔女狩りの歴史があることはよく知られている。しかしその実態がどのようなものだったかについては、これまで学ぶ機会がなかった。岩波新書の近刊でこの書を見かけて、よい機会だからと読んでみた。まず驚かされたのは、魔女の歴史について、詳細にわたる研究の蓄積が存在することである。ヨーロッパ中近世史におけるその比重から言えば当然といえば当然なのだが、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、スペイン、スイス、北欧と各国にわたって裁判記録や教会の歴史などを通して多年にわたる研究成果があることを初めて知った。

 多くの場合、女性、それも老女が犠牲にされたのだが、悪魔と契約を結んで、悪魔崇拝の儀式とされるサバトに出席し、妖術を会得して自然災害から頭痛、腹痛、癲癇などの病気、新婚夫婦から性的能力のはく奪、家畜への害悪などさまざまな悪行の罪がなすりつけられ、魔女裁判では、弁護人もおかず、過酷な拷問で自白が強要され、その結果、火あぶり、絞首刑など残虐な刑に処せられる。こうしたことが、古代ではなく、15世紀前半に出現し始め、16~17世紀に蔓延し、18世紀初頭まで続いたというのだから驚きである。キリスト教の異端審問や非キリスト教徒に対する迫害なら、もっと以前から知られているが、なぜ近世にさしかかる時代に、一方でルネッサンスを迎えながら、こうした現象が多発したのであろうか? 本書を通じて何よりも知りたかったのは、そのことなのだが、私のこの疑問に対して、著者の答えは以下のとおりである。

 一つは当然のことながら、天候不順、疫病の流行、戦争による惨禍などによるものである。しかし、これらは、それ以前にもあり、またヨーロッパ以外にも世界的に見られる現象であって、それだけではなぜ近世に至るヨーロッパでこのような現象が生まれたのかはわからない。著者が第2に挙げるのは、「農村共同体の解体とスケープゴート」としての魔女狩りである。15世紀に新世界が発見され、以降さまざまな産物や金銀が流入、商業・交易が活発化し、都市には富裕層が形成され、資本主義が展開しだす。一方農民多くは、物価高に租税苦も加わって、小さな耕地を耕すだけでは生活が成り立たなくなっていく。「心身ともに追い詰められていく農民のなかでは、隣人同士の妬み恨み、諍いが至る所に渦巻いて、いつ魔女狩りが起きてもおかしくない条件が整うのである」。

 第3に注目したいのは、「絶対主義国家成立との関係である」。著者はいう。『魔女迫害は、国王(君主)の権力強化と関連していた』と。中央集権の絶対主義体制構築のためには、常備軍を備え、官僚制度を整え、税制を完備する必要がある。そしてなによりも、それらすべてを正当化するイデオロギーを確立して、従順な臣民を創出する必要があった。そのため、司法官や聖職者を中心に、君主を中心とした厳格なキリスト教道徳の実践を住民に強いる政治的共同体、神的国家をつくる機運が高まっていく。これが、異端の排除、秩序に従わない者をきびしく取り締まる風潮を一気に高めていったというのである。その証拠に、この時代に魔女狩りの先頭に立ったのが、司法官であり聖職者たちであった。つまり当時の最高の智識人が、魔女狩りを正当化し、その裁判、処刑をリードしていったのである。これはなるほどとうなずける。現代に至っても、ドイツのナチスがおこなったユダヤ人をはじめとする大弾圧や、戦前の日本で天皇制権力がおこなった「赤狩り」を想起すれば、ことが近世ヨーロッパに限定されないことがわかる。ヨーロッパの合理主義の誕生が、その反面で非合理な『魔女狩り』を伴っていたという史実には、今日的にも大事な教訓が含まれているように思う。(2024・4)