永井潔著『真理について』(光陽出版社、2018・3)

  このたびは、永井さんの『真理について』を贈呈いただき、ありがとうございます。ひさびさに知的刺激に満ちた哲学書を読むことができました。

 わたしはかつて永井さん『芸術論ノート』の刊行を起案し、編集に直接たずさわった当人であり、永井さんの認識論、真理論に早くから注目してきた一人です。『反映と創造』の際はタッチしていませんが、当時社研の所長をしていた宇野三郎氏などが、永井理論は観念論だと息巻いていたのにたいして、反論したのを記憶しています。わが国のマルクス主義陣営には素朴反映論ともいうべき伝統が根深くあり、認識が人間の主観のがわからの働きかけ、概念やカテゴリーを使っての構成という面があることを認めない傾向がいまもあるようにおもいます。永井さんは、ご自身の画家としての体験にももとづいて、そうした機械的な認識論を乗り越えなければ、芸術的創造といった行為を説明できないではないかと、強く主張してこられました。これは大事なことで、レーニンも『哲学ノート』ではそのことに気づいていました。

 今回の真理論では、問題がいっそう多面的に、深く追求されており、いろいろ学ばされます。とくに真理と誤謬、認識と虚構、真理と真実、真理らしさ、認識と価値、自由についての思索的な探求は興味をひかれました。また、反復と模倣、模擬、反復と認識の発展などにかんする考察も、独創的でさえあって、学ばされました。永井さんは問題をリアルに見つめ、実に柔軟に、すなわち弁証法を縦横無尽に駆使して論を展開されています。そこをつらぬく根本姿勢に学ぶ必要があると感じます。また、『芸術論ノート』いらいですが、永井さんの文章は独特です。絵描きが絵を描くときに、絵筆を気の向くままに使うのとおなじで、一点にとどまらずに気の向くままどこへでも自由に展開していくので、ついていくのが大変です。これも、永井さん文章の魅力でしょうね。

 以上感想ですが、一つだけ気になったことがあります。本書の後半に収録されている「続・真理について」が『葦牙』という同人誌に掲載された問題についてです。『葦牙』についてはご存知と思います。永井さんの名前が、その論文の初筆掲載紙として雑誌を権威付け、市民権をあたえるような結果になっているのは残念です。おそらく、『民文』連載のときの人的つながりからとは推測されますが、永井さんがなぜ『葦牙』にお書きになったのか、そのことへの言及もこの雑誌の民主的文化運動のなかでの役割にも「あとがき」をふくめて一切触れられていないのは首をかしげざるを得ません。むしろその経緯をありのままに紹介し、この雑誌の性格に一言ふれるだけの配慮があっても良かったのでは、と感じた次第です。本書にまとめるにあたっての詳しい事情を知らない人間の率直な感想として記しておきます。(本書贈呈者への礼状より)