宮本百合子『二つの庭』『播州平野』『風知草』(新日本出版社版全集6巻)

 今年は宮本百合子没後70周年にあたることから、『道標』『伸子』を読む機会があったので、つづいて『二つの庭』にとりくみ、さらに再読になるが『播州平野』『風知草』にもいどんだ。『播州平野』『風知草』は、第二次大戦が日本の無条件降伏によって終結した翌46年に発表されている。前者は、敗戦によって夫の重吉(宮本顯治)が北海道網走監獄から釈放される可能性が生まれたので、主人公のヒロ子が疎開先の福島から夫を迎えるため困難をのりこえて網走へ渡ろうと手を尽くしているところへ、山口県にある夫の実家から出征して広島に駐屯していた夫の弟が原爆投下で生死不明、絶望との知らせが届くところから始まる。夫の名代としてなんとして駆けつけなければと決意するヒロ子は、戦災で鉄道の運行もとだえがちで、座ることもままならないすし詰め列車で東京に戻り、あらゆる困難を排して東海道線から山陽線へとズタズタに分断されている鉄道を乗り継いで、夫の実家へむかう。

   敗戦直後の文字通り廃墟と化した本土を東から西へと縦断したことになる。そしてやっとたどり着いた夫の実家では、夫の母と亡くなった弟の妻と子供たちが、心の支えを失った状況のもと、不安で緊張した日々を送っている。そこへおり悪く大型台風が来襲し、夫の実家は床上まで浸水、これまでに経験したことのない被害を受ける。その対応に追われるヒロ子に、願いに願っていた治安維持法撤廃の報道がとどく。12年におよぶ獄中生活から解放された夫を迎えるために、なんとしても東京に戻らなければならないと、意を決したヒロ子は、水害で鉄道がずたずたになっていることをも承知で、帰京の途に就く。そして、戦災で廃墟と化し、台風による惨禍をこうむった播州平野を、寸断された超満員の列車と徒歩、たまたま通り合わせた馬車をのりついで大阪へ、さらに東京へと旅する。

 戦争の終結と悪の根源である治安維持法の撤廃が実現し、12年ぶりに出獄する夫を迎えるための本土縦断、そこでヒロ子が目にする戦争による国土の完全な荒廃の実態、それらをつぶさに描きだしたこの作品は、日本の敗戦をもっともリアルに、本質的に描きだした記念すべき傑作といえるであろう。宮本百合子ならではの記念碑的作品といえる。

 『風知草』は、釈放された夫、重吉と12年ぶりに一緒の生活をはじめたヒロ子が、戦後の新しい条件のもとで夫とともに活動を開始する、そのありさまを描き出している。ヒロ子と重吉が結婚して一緒に生活したのは、数か月にすぎない。夫が捕らえられ、ヒロ子もたびたび拘留され、獄中で熱射病にかかって瀕死の状態で運び出されるという体験もしている。ごく短い時間の面会と検閲を前提とする手紙のやり取り以外に、二人をむすぶものは皆無であった。釈放された同志たちを中心にした新しい活動に参加する二人にとって、毎日お弁当を作って一緒に食べたり、同じ電車にのるといった普通の人のあたりまえの日常生活が、新鮮で初々しくもあった。ある日電車の中で重吉が突然、「ヒロ子に、なんだか後家のがんばりみたいなところが出ているんじゃないか」という。この言葉にヒロ子はショックを受け、憤り、深く傷つくとともに、長年の苦闘の中でそういう面が自分に生まれていることを否定できないこと、そして、こういう指摘をしてくれるのは夫以外にありえないことを悟り、感謝の気持ちをいだくのである。こうした夫婦間の心の機微をふくめて、二人の新しい出発が描かれている。これも不屈のたたかいのうえにのみ開かれえた戦後の新しい希望と可能性を象徴する、百合子だけが描きえた作品である。

 『二つの庭』は、1947年、つまり前二作の後に書かれた作品である、年代的には『伸子』と『道標』との中間に位置する。つまり、百合子の最初の結婚とその破綻をテーマにした『伸子』のあと、素子と一緒に革命10年のソビエトに赴きそこでの体験を描く『道標』(書かれたのは『二つの庭』の後)とに挟まれた時期、結婚の破綻で落ち込む伸子がロシア文学者の素子と知り合い、二人で共同生活をはじめ、ソビエトへ出発するまでをあつかっている。1920年代、自立した女性が二人で共同生活をすること自体がまだめずらしかった。その意味でも、斬新な時代を先駆けたテーマと言えるであろう。素子は細やかな女性らしい感性と身のこなしを身上としながら表面は男のような口の利き方をする人で、ひろ子よりいくつか年上である。この二人の生活そのものが、なかなか興味深いのだが、ここでヒロ子は、当時のプロレタリア文学運動の台頭やアナボル論争(アナキストボリシェビキ共産主義の論争)に接し、また芥川龍之介の自殺に多大なショックを受ける。高等学校に通う弟をつうじて当時の学生のあいだでの政治論争などにもふれ、社会的な問題に少しずつ目を開いていく。ソ連訪問を決意したヒロ子がブハーリンの『史的唯物論』(戦前よく読まれた科学的社会主義の入門書)を読むのも、その一環である。百合子の思想的成長の過程を教えられる作品である。

  百合子は獄中の苦労もたたって1950年に52歳で病死している。ソビエトから帰国してからプロレタリア文学運動への参加、夫の長い獄中闘争とその支援、戦後の新しい出発と日本の民主的再生へのたたかいと、百合子が書こうとしてはたせなかった課題は多い。『道標』から『風知草』までがいわば助走で、これからがいよいよ本番であっただけに、その早死には惜しまれる。(2021・4)