宮本百合子『道標』(新日本出版社版全集第7、8巻)、『伸子』(同3巻)

 今年は、宮本百合子没後70周年にあたり、『民主文学』が特集を組むなどしている。それでというわけでもないのだが、百合子の生前最後の大作となった『道標』を読み、大変感銘をうけ、つづいて『伸子』も読んでみることにした。筆者が百合子のこれらの大作をはじめて読むにはわけがあった。『風知草』『播州平野』などは若いときに読んだのだが、この作者特有の繊細でまとわりつくような粘着質の感性にとてもついていけず、評論は愛読したが、創作の方は長く敬遠してきたのである。ところが、80歳を過ぎて今回読んでみて、不思議なことに何の違和感もないどころか、文章の一行一行がみずみずしく躍動的で何の抵抗もなく引き入れられるのであった。粗暴な感性しか持ち合わせなかった若いときの自分が、何十年かの間に成長し、百合子の文学を素直に受け容れるに至ったのかもしれないと、われながら驚いている。『伸子』に続いて『二つの庭』も読んでみようと思う。

 『道標』は主人公の作家・伸子とロシア文学者の素子が革命後間もないソ連邦を訪れ、新しい社会の建設にいどむ民衆の沸き立つような活力がみなぎる中に2年間にわたって身をおき、ロシアの民衆に接するとともに、その後、ポーランドワルシャワ、ドイツ・ベルリンを経て、訪欧した伸子の家族とともにパリ、ロンドンに滞在する、そのすべての過程をたんねんに追想、記録した作品である。百合子が帰国後、プロレタリア文学運動に参加し、宮本顯治と結婚、12年におよぶ獄中・獄外での不屈たたかいをやりとげ、戦後、新しい出発の先頭に立つ、その基礎をつくりあげる画期となる作品である。

    伸子らがソ連に滞在したのは1927~29年だから、すでにスターリンによる専制支配が始まっている。トロツキーらの追放、ブハーリン一派の粛清、強制的な農業集団化などである。丁寧に読むと、それらの影も作品には見出され、疑問も呈されている。しかし、外国からの訪問者として滞在する伸子らにとって、政権中枢部における政争や首都から離れた農村での事態はまだ深刻な問題として目にとまることなく、社会主義建設5か年計画達成への取り組みなどで沸き立つ民衆の活気と解放の喜びに満ちた息吹こそ、新鮮な驚きをもってむかえられる。その後、訪れる西欧での貧困や貧富の格差、メーデーでの血の弾圧に象徴される労働者の権利抑圧、さらに西欧世界を襲う世界恐慌との対比においても、史上初めての社会主義建設へのとりくみに、若き百合子は魂の根源からの共感と自分のこれから生きる道へ確定的な示唆をうけとる。スターリン体制のもとでソ連はその後、歴史の進歩からそれて転落の道を進む。だからといって、伸子の体験とそこでの教訓が、歴史の進歩、労働者階級解放の道に沿ったかけがえのないものであったことを、何人も否定することはできない。  

 『伸子』は、19歳の百合子が父と一緒にアメリカを訪れ、言語学者荒木茂と出会い、周囲の反対を押し切って結婚し、破綻するにいたる凄惨なまでのいきさつを、家族、とりわけ母との確執を含めて文学作品として描きだしている。伸子は、一人の女性として情熱と意欲を存分に発揮し、伸びやかに生を全うしたいと心から願う、若き作家である。結婚した相手の佃は、苦労して育ち、年齢も伸子より15歳上の、いわば世なれた成人で、古代ペルシャ語を専攻していて、アメリカ滞在も長い。伸子の父と知り合いで、ニューヨーク滞在中の不慣れな伸子父子がなにかと世話になる。そんなことから、次第に懇意になり伸子との間に恋が芽生えてゆく。しかし、結婚してみると、ごく普通の家庭生活を求める佃と伸子とは根本において生活態度、生き方の相容れないことが次第に明らかになっていく。夫婦の関係は、心理的に無惨に互いを傷つけ合う状態になり、父母特に母と家族とのあいだにもひびが入っていく。しかし、別れることもできずに5年間、地獄のような苦しみののち、離婚に至る。その微妙で複雑ないきさつが、なまなましく、深い陰影をもって読者の胸に迫ってくる。百合子という作家の並々ならぬ感性と内省をふくむ鋭い観察力、研ぎ澄まされた理性を感得せざるを得ない。

 この時代の日本では、こうしたテーマは家父長的な家庭での家父長としての男性の横暴な君臨・支配とそのもとで抑圧されて苦しむ女性といった内容のものが圧倒的に多いのではなかろうか? この点で、『伸子』はちょっと次元を異にする。なぜなら、伸子自身が、イギリス留学の経験を持つリベラルな父にみるように、比較的自由な家庭に育つ、自由で自立した人間であるのはいうまでもない。相手の佃も、長くアメリカで暮らしており、この時代の日本男性の一般的な家父長的性格とは無縁の男である。そのことは、結婚の約束をするにあたって、伸子が「それでも、仕事はすてられなくてよ。それだけはできない。――――万一、それを止めなければならないなら、―――左様ならするしかない」と迫るのに対して、次のように答えていることからも明らかである。

 「そんな心配こそ無用です。――あなたが大切に思っているもののあるのは判っています。仮にもあなたを愛している者が、どうしてそれを捨てろなどと言います!―― 私は自分をすててもあなたを完成させてあげたい、と思っているほどです。」 佃は、伸子の生き方を認め、それを全うするためには、必要なら自分が犠牲になる覚悟だ、とも誓う。そして、伸子が実家に足しげく出入りしようが、旅に出ようが、いっさい干渉がましいことは言わない。そういう意味では、当時の社会的時代的制約はあるにしても、いわゆるジェンダー平等を認め、容認する、当時としてはめずらしい男でもある。ただ、伸子の求める愛、情熱、意欲、向上心とは次元の異なる、平凡な家庭とその主婦しかその頭には存在しない。したがって、この夫婦の愛と家庭の破綻は、封建的家父長的家族、男の支配による女性の犠牲、女性の自立といった次元には収まらない問題をはらんでいると言えるだろう。それは、いわばジェンダー平等を基本的に前提にしたうえで、それを土台にさらにその上にどのような愛と家庭を築くかといった、より次元の高い問題を内包しているといえるのではないか。伸子が求めるのは、両性の平等と自由、自立を当然の前提として、そのうえにお互い切磋琢磨し、励まし合い、情熱と向上心をを高め合い、共通の目標に向けて果敢に挑むような、そういう燃えるような愛であり、夫婦である。伸子のこのレベルからみると、凡庸で実直なだけで社会的常識の枠を一歩も出ない佃はとうてい伸子の望みに応えることはできない。ここにこそこの夫婦の破綻の最大の原因がある。この作品を今日わたしたちが読んでいささかの古さも感じさせず、新鮮に受け止められるのは、その主題がいわゆるジェンダー平等という地平を超えた、愛と家庭をめぐるより高次の新しい問題を提起しているからではなかろうか。それが私の実感である。(2021/3)