カレル・チャペック『白い病』(阿部賢一訳、岩波文庫、2020・9)

   新型コロナで第3回目の緊急事態宣言が東京、大阪、兵庫、京都にだされるというなかで読んだ戯曲である。白い病とは、50歳くらいの年配者を襲う原因不明で予防法も治療法もない伝染病で、ある日突然皮膚に白い斑点が現れ、たちまちのうちに耐えがたい悪臭をはなちながら全身が腐食して死に至る。ものすごい感染力であっという間に全国に広がり、枢密顧問官が院長をつとめる国立病院も患者でいっぱいである。そんななかで、民間の医師ガレーンがこの病の奇跡的ともいえる治療薬を開発する。ガレーンは、貧者だけを相手にする医師で、金持ちは診ないというかたくなな信条の持ち主である。

   彼はまた、人の命を救うのが医師の使命であり、その立場からすると多くの人命を犠牲にする戦争に反対するのは医師の義務であるという信念の持ち主でもある。ガレーンは、自分が開発した新薬の使用を、金持ちや国の指導者のばあい、戦争に反対し平和条約をむすぶために努力を惜しまないという条件でのみ許す。

 ガレーンは、新薬による治療を枢密顧問官が院長をつとめる国立病院もちこみ、画期的な成果をあげ、国の最高指導者である元帥の訪問、礼賛にも浴するが、顧問官らが上の条件をのまないことを理由に、病院での新薬の使用を認めない。実は、元帥らは戦争による領土拡張を計画していて、枢密顧問官の友人で軍需工場を経営するクリューク男爵に、戦車など兵器の大増産を督促している。ところが皮肉なことに、このクリューク男爵自身が白い病に感染する。クリュールはガレーンを訪れ、金に糸目をつけないと治療をたのむが、兵器の生産中止という条件を突きつけられて、応じるわけにいかない。元帥も説得に当たるがガレーンに、戦争中止、平和というきびしい条件を突きつけられる。戦争は開始され、正義と愛国の名による民衆の熱狂は一挙に爆発し、押しとどめることが不可能になる。そんななかで、ついに国の最高指導者の元帥の肌に白い斑点が現れる。元帥の選択肢はいかに?

 ざっとこんな筋書きの話なのだが、注目すべきは作者のカレル・チャペック(1890~1938)がチェコスロバキア人で、1937年にこの作品を書いていることである。大国にほんろうされてきた歴史をもつチェコは、第一次大戦後にようやく独立をかちとり、新生の国づくりにとりくみ、チャペックもジャーナリスト、作家としてその渦中で大きな役割を果たすのだが、ヒトラーナチス・ドイツの台頭で、戦争の危険が迫り、1938年にいわゆるミュンヘン協定で、チェコのズデーデン地方のドイツへの割譲が、当事者であるチェコ不在のままとりきめられる。そして、翌年には、ナチスによってチェコの存続自体が事実上否定されていく。そうした時代に、チョコの存在を脅かす脅威を“白い病“というペスト(黒死病)と対比される象徴的な病名にたくして警告するとともに、戦争反対、平和への悲願をこめて、チャペルはこの作品は書いている。作品では、ガレーン医師はギリシャ人ということになっているが、チャペックは最初ユダヤ人という設定であったようである。あまりに現実に密着しすぎるという理由で、ギリシャ人に置きかえたようである。

    訳者によると、この戯曲にはすでに二点の既訳があるとのこと。本訳は、新型コロナ感染拡大で最初の緊急事態宣言が出された2020年4月にとりかかり、5月に訳し終えたという。いわば突貫作業である。おりしも今年は、核兵器禁止条約が発効した年でもあり、感染症と戦争との不可分の結びつきをテーマにした本作の新訳は時宜にかなっていると言えよう。(2921・4)