宇佐美まこと『羊は安らかに草を食み』(祥伝社、2021・1)

 作者は『愚者の毒』で第70回推理作家協会賞を受賞している。もともと伝奇小説やミステリーを書いてきた人である。本作は、一転して一人の認知症の老婦人の重い戦争体験をめぐる話である。もちろん、作者ならではのミステリアスな要素も欠いてはいない。

   86歳になる益恵は、11歳のときにソ連参戦、日本の敗戦で「北満」から引き揚げるさい両親も家族も失い、想像を絶する苦難に耐えてただ一人、孤児として帰国した体験をもつ。いまは、夫の三千男に介護されて東京の王子に住んでいるが、三千男は介護の限界を感じて、益恵を施設に入れる決心をする。そのまえに、益恵が帰国してから暮らしたところをもう一度たどる旅を体験させてやりたいとおもう。幸い、益恵は数十年来俳句を愛好し、いまもアイと富士子といういずれも80歳前後の親しい俳句仲間がいる。三千男はこの二人に、益恵の最後の旅に同行してほしいと、次のように言ってたのむ。

 「あの人の中にはつかえがあると思う」「そのつかえがあるばっかりに、まあさん(益恵のこと)は自由になれない。認知症でもなんでも、ゆったりとした気持ちで死に向えない。何かが彼女をがっちり押さえ込んでいるみたいに」「僕はね、まあさんの孤立した不安な魂を救ってやりたいんだ」と。はたして、益恵は何に押さえ込まれているのか?
 意を決して引き受けたアイと富士子は、益恵を連れて自分たちも最後となるであろう大旅行に出かける。行先は、益恵が上京するまで住んでいた滋賀県の大津、そのまえに前夫が亡くなるまで十数年ともに住んだ四国の松山、そして益恵が帰国後最初に落ち着いた長崎県の小さな国先島である。行く先々で益恵は、認知症ながらそれなりの旧交を温める。同時に、旅行と並行して、益恵の「満州」からの逃避行のすさまじい実態がたどられていく。

 ソ連軍侵攻当時、益恵の一家は、「北満」のハタホ開拓団に所属し、父はそこの農業指導員で、母と勝仁、武次の二人の弟、生まれたばかりのふみ代の6人であった。日本軍はすでに撤退、成人男子は兵役にとられているから、開拓団に残るのは女性と子ども、老人ばかりである。とるものもとりあえず身の回りのものだけを持って撤退を開始するが、鉄道はすでに不通、ソ連軍の銃弾がとびかうなかを線路伝いに徒歩で何日もあるく。銃弾で倒れるもの、疲労で動けなくなるもの、はぐれるこども、「満人」の襲撃、略奪、放置される死体、その衣類をあさる避難民、文字通り地獄である。

 父はソ連軍の銃弾で絶命、弟たちとは離れ離れになり、残った開拓団は、日本兵が残していった手榴弾で集団自決を決行する。覆いかぶさる母の下で生き残った益恵は、まだ息のあるふみ代をのこして、ひとり線路を歩きつづける。そしてようやく貨物列車が運行されている駅にたどりつき、これに積め込まれてハルピンにむかう。そこで、同じく孤児になった同年代の少女、佳代とめぐりあう。いらい厳寒の冬を挟んで何か月も二人で、仕事を探し食糧を調達して飢えをしのぎ、住まいを確保して生き抜く。親切な中国人夫妻の援助などもあって、とにかく生き延びた二人は、何か月も順番を待って新京行きの列車にのりこみ帰国の途につく。そして、帰国しても身寄りのない益恵は、佳代の祖父が住む長崎の国先島に赴く。そこで佳代と一緒に育ち、学校にも通い、佐世保で就職し結婚もする。二人は運命のきずなで固く結ばれていたのである。

 益代は結婚し、明子という娘をさずかるが、夫の暴力に苦しみ、幼い娘を自分の不注意から死なせてしまったという。益恵、アイ、富士子三人の旅からこうした過去の事実が次々に明らかになっていく。そして、国先島で佳代と再会した益恵は、認知症を忘れるほどに手と手をとりあってよろこぶのだが、佳代はぜか落ち着かない風情をみせる。そういえば、二人はなぜ、永年音信不通のまま今日まできたのか? ふたりの運命的な関係から言えばきわめて不自然である。そこから話はミステリアスな展開をするのだが、これ以上の紹介は遠慮する。戦争が、女性の生涯にどんな宿命を負わせるか、その象徴的な姿をこの作品は描き出しているといえよう。(2021・5)