半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』(文春文庫)

 筆者が亡くなったのは今年の1月である。表題の著作は、筆者の代表作であるが未読であった。この8月の敗戦記念日を機会に、追悼の意もこめて読んでみることにした。初版は1965年に評論家として一世を風靡した大矢壮一編の名で世に出た。半藤は当時『文芸春秋』の編集長をしていたから色々配慮して自分の名前を出すのを遠慮したのであろう。大宅の名前もプラスしてか、初版は大きな反響を呼び、映画にもなった。何しろ1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏をした日に焦点をあて、本土決戦か降伏か国の運命をめぐってたたかわれた、手に汗を握る壮絶な抗争を、丹念な取材をもとに刻々と描き出し再現したのだから、当然といえば当然であった。それから30年後の1995年に、追加取材による補正を加えて「決定版」として再刊するにあたって、筆者は半藤一利とされた。そういういわくのある著作でもある。

 45年8月15日正午、NHKラジオから日本の降伏をつげる天皇のいわゆる「玉音放送」が流された。「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲に忠良なる爾臣民に告く」で始まる天皇の肉声による放送である。それまで連日、大本営発表の赫々たる戦果を聞かされる一方、米軍による空襲によって家を焼かれ、命を落とす日々を送りながら、本土決戦、一億玉砕を辞せずと急き立てられていた国民の多くは、唖然としながら、これで助かったと胸をなでおろした。まだ子供だった私もこの日のことは記憶している。

 しかし、7月27日にポツダム宣言が発表されてから、鈴木貫太郎内閣がこれを黙殺する態度をとり続ける。8月6日、9日の広島、長崎変原爆投下、9日のソ連参戦を経て、宣言を受託するかどうかをめぐって閣議は紛糾を重ね、二度にわたる天皇臨席の御前会議で現人神である天皇の聖断によって宣言受諾、無条件降伏に決着する。この間、徹底抗戦を主張する陸軍と和平派との激論、陸軍の内部でのクーデターを画策する不穏な動き、とりわけ、8月14日におこなわれた玉音放送の録音盤の争奪戦は、それらの史実はそれなりに知っているつもりであったが、本書で描き出されたようにその全体の克明な事実経過をみると、文字通り危機一髪であったことを改めて認識させられる。

 とくに畑中、井出ら青年将校によるクーデタ計画が近衛師団将校らをまきこんで具体化され、14日夜、同調しない森近衛師団長を殺害して、偽命令で近衛師団の連隊を動かし皇居を占拠し、玉音放送の録音盤奪取が追及されるくだんは迫力がある。NHK放送局も軍によって占領され、蜂起部隊の将校が直接国民に訴える放送をおこなおうとして放送局員を恫喝するにまでいたっていた。また、鈴木首相官邸、平沼枢密院議長宅などが蜂起軍将兵によって焼かれるなど、事態が最悪のところまで進んでいた。これtらの史実について、あらためてじっくりと認識を深めることができた。

 もうひとつ、深く印象に残ったのは、阿南陸軍大臣の去就である。阿南は、みずからも徹底抗戦を信念とし、青年将校らのクーデタ計画もそれを企てた青年将校らの心情も十分理解しながら、ポツダム宣言受諾に天皇の決断が下ると、軍人としてこれに従うという態度を最後までつらぬいた。他の閣僚が最後の最後まで恐れたように、阿南が自分の意思をとおすために辞表を出せば、鈴木内閣は瓦解し、徹底抗戦へ陸軍独走といった事態になりかねなかったのである。阿南は、玉音放送の日の早朝、全責任をとって割腹自殺をとげる。これはこれで筋を通したといえよう。

 こうした感想をよびおこすだけでも、やはり名著といってよいであろう。ただし、1945年8月15日に限定して、そこにむかう天皇、政府閣僚、軍首脳部、青年将校らに焦点を当てその動向を刻々追うという本書のなりたちからしてある意味でやむをえないのだが、登場人物がこの時点でそれぞれ真剣に国の運命にむきあっていて、その意味で全面的に美化され、賞賛の対象になっていることである。国と国民を不幸と破滅のどん底に陥れる戦争を計画し推進し、あるいは積極的に同調してきたその根本責任、不正は全く見落とされているわけではないが、全体として後景に追いやられてしまっている感は否めない。本書がそうした弱点をもつことは見過ごしてはならない。(2021・8)