芹沢 央『夜の道標』(中央公論新社、2022・8)

 バスケットとボールの選手をめざす中学生の中村桜介は転校してきた橋本波留と仲良しになる。波留は体格においてもバスケットボールの技量においても桜介をはるかにうわまわり、桜介は波留にあこがれ、たよりにもしている。この波留が、たまたま桜介が路上の対向車面から声をかけたばかりに、自動車事故に巻き込まれ、負傷してしまう。桜介は責任を感じて深く詫びを入れるのだが、波留は意に介せず、桜介をとがめるどころか呆れるほど平然としている。

 一方、長尾豊子は、スーパー・マーケットの店員を務める平凡な女性で、店で売れ残った食品をせっせと持ち帰るのを常としている。一人暮らしにしてはその量が多いので、夫や家族がいるのであろうと、周囲の同僚たちは推測している。しかし、彼女には家族も同居者も表向き見当たらない。また、平良正太郎という刑事が部下の大矢とともに、数年前に評判の良い塾教師が殺され犯人が未だ不明の事件の捜索にコツコツと取り組んでいる。

 物語は、一見何のつながりもなさそうなこの三つの事例が独立して展開していく。しかし、それらはやがてひとつにむすびついて、殺人事件の真相に迫っていくことになる。波留は、なぜ自動車事故に遭いながら平然とし、むしろそのことを自慢にすらできるのか? 豊子はスーパーの売れ残りをせっせと買い込んで、いったいどうしようというのか? 正太郎らの探索は、誰からも尊敬され信頼されていた塾教師の戸川が、なぜ、どのような理由で殺意の対象となったのか、戸川の塾には、正規の授業についていけない知的障碍者や、発達障碍者などがあつまっていたという。彼らの中に、戸川を憎み、恨みをいだくものがいたとしたら、それは何が原因だったのだろうか?

   こうしてなぞは重なりつらなり、しだいに一点に集中していく。そこには、障碍者基本的人権を否定する法のゆがみとそれをささえる世情、それどころか障碍者の障害を悪用して利益を得る犯罪行為などが、期せずして不可分にからんでくる。問われているのは、障害者が生きるとはどういうことか、生きるに値するのか。という迫真の問題である。当然のことながら、障害者の成長にともなう性的発育、性的交わりと妊娠、出産という重い事実にもまともに向き合わざるを得ない。旧優生保護法(1948~1996)のもとでは、「不幸な子どもの生まれない運動」として不妊手術が推進された。母体保護法へ改正されるまでの48年間に実施された不妊手術は80万件以上で、そのうち本人の同意のない強制的な優勢保護手術は1万6千500件に上るという。この人権侵害への怒りが、殺人事件をまねいたとして、その罪を誰がどこまで追求しうるであろうか? ミステリー仕立てで軽く読めるこの作品が、実はこうした重い問題を内在させていることを、見過ごすわけにいかない(2023・1)