シャーリー・アン・ウィリアムズ『デッサ・ローズ』(藤平育子訳、作品社、2023・2)

 「朝日」の書評で20世紀を代表する黒人文学として紹介されていたので読んでみた。作者は大学教授で、文芸批評家、小説家、詩人、児童文学者である。1944年生まれで、99年に没している。生活保護を受ける貧しい黒人家庭に生まれ、近所の年上の黒人男性に売春行為を強要されたり、16歳で母を亡くし、姉に助けられながら畑仕事や葡萄の収穫の手伝いなどをしながら、学び、黒人文学に親しみ、みずから作品を執筆するようになっていく。アフリカ系アメリカ人で最初のノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンとも親交を結び、本書の巻末には二人の対話「霊的啓示」が収録されている。

 この作品は、19世紀半ばのアリゾナサウスカロライナを舞台にしているが、黒人文学と言えば、『アンクル・トムズケビン』くらいしか読んだことのない筆者にとって、読みやすいとはとても言えなかった。物語は、二つの史実から構成されている。一つは、1829年、ケンタッキー州でのできごと、一人の妊娠中の黒人女性が鎖でつながれて移動する奴隷集団(奴隷市場で売買されるために連行されている)で叛乱を先導する仲間にくわわり、逮捕され、死刑を言い渡されるが、赤ん坊が生まれるまで刑の執行を延期されるというできごと。もう一つは、1830年、ノースカロライナで、地域から孤立した農場に住む一人の白人女性が逃亡奴隷に避難所を提供していたという史実である。この二つの史実に依拠するこの作品はあくまでもフィクションであるが、作者は緒言で次のように書いている。「今の私にはわかるのです。奴隷制度は、ヒロイズムも愛も根絶やしにはしなかった。奴隷制度は、それらを表現する機会も与えてれたと」「ここに書かれているのは、私自身それを生きてきたような真実に他なりません」と。

 さて前置きが長くなったが、「黒んぼ」「娘」「黒人女性」の3部からなるこの作品の第一部は、地下牢に鎖でつながれた妊娠中の若い黒人女性、主人公のデッサ・ローザが、アダム・ネヘミアなる白人著述家による聞き取り取材に対応するという設定で展開される。デッサは白人著述家に根っから不信をいだいているから、次々に繰り出される質問にまともに答えようとはしない。しかし、その重い口からでる言葉の断片から、デッサの恋人ケインがいつも肩にかけている唯一の愛用楽器バンジョーを白人の主人に乱暴に壊されて、抗議したのを理由に撲殺されたこと、これに怒りを抑えられないデッサが、ケインの児を身ごもりながら奴隷反乱に加担したこと、そして捕えられ、死の判決を下されて、厳重に鎖で繋がれ獄舎に閉じこめられていること、そして、やがて仲間の手によって逃亡に成功することなどが、明らかになっていく。

 第2部は、出産したばかりのデッサが白人奴隷主で夫が失踪中の女性、ルーフェルの館で、主人の部屋のベッドに寝かされているところから始まる。ルーフェルは、ハートやネイサン、エイダなど逃亡奴隷に住居を提供するだけでなく、デッサの赤子が泣き声をあげると自らの母乳を授乳さえする。そしてそれぞれが人格を持った人間として奴隷たちに対応する。そんな白人を見たことも接したこともないデッサは最初なじめないが次第に心を開いていくようになる。そのうえ、ルーフェルはこともあろうに、白人女性主人の性奴隷を強いられてきた経歴を持つ黒人男性のネイサンと親密になり、性的関係をも持つようにまでなる。第3部では、このルーフェルと黒人たちが共謀して詐欺的手法で金もうけをして黒人たちの逃亡資金を調達するという奇想天外な道中が繰り広げられる。

 悲惨な境遇に置かれ残酷な体験を強いられながら、一人ひとりの黒人が人間としての尊厳と自尊心をもち、それぞれ独立した人間としてふるまう、そして、ルーフェルのような白人女性が現れる、ここに公民権運動が全盛期をむかえる20世紀の黒人文学の最大の特質があると言ってよいであろう。決して読みやすくはないが、一読に値する。(2023・5)