柳広司『南風に乗る』(小学館、2023・3)

 作者は、1967年生まれ。『贋作『坊ちゃん』殺人事件』で朝日新人文学賞、『ジョーカーゲーム』で、吉川英治文学新人賞などを受賞しているが、私は読んだことがない。ジャンルから言えばミステリーを書いてきた人のようだが、本作は違う。1952年、サンフランシスコ条約で日本が独立を回復したさいに米占領下に放置された沖縄の人々が、どんな苦難の状況におかれたか、そして米軍による不当な占領支配にどんなに不屈にねばり強くたたかいぬいていたかを、人民党党首・瀬永亀次郎(復帰後は日本共産党副委員長)を中心に、沖縄出身で東京に住みながら郷里をおもう詩人の山之口獏、英文学者で沖縄資料センターを設立して沖縄の窮状と人民のたたかいを本土の人々に伝え支援する仕事に打ち込んだ中野好夫の3人の歩みを克明にたどった力作である。

   その筆は、佐藤内閣による1972年の沖縄の本土復帰で終わっているが、「核抜き、本土並み」と宣伝された復帰の実態は、基地も核もない平和な沖縄をという県民の願いを乱暴に踏みにじるものであった。米占領下同様に米軍基地は存続し、県民の土地と人権が奪われたまま、そこに新たに自衛隊が乗り込んで来る。復帰を祝う東京の式典で佐藤栄作首相が復帰を実現したみずからの業績を自慢げに誇る一方、沖縄現地では復帰協の人々が、公の式典を欠席して怒りと抗議の集会をひらき、そこに多くの県民が参加する。県民の悲願を踏みにじった本土復帰の欺瞞が、ここに象徴されている。

 1952年、サ条約が調印されると、沖縄では米軍占領支配がつづくもとで琉球政府が設立され、第一回立法院議員選挙がおこなわれる。この選挙に那覇区から立候補した瀬永亀次郎は、トップ当選を果たす。選挙結果を受けて琉球大学校庭で琉球政府創立式典が開催される。この式典で出席した立法院議員の宣誓文の朗読が行われる。全議員起立、脱帽して直立不動の姿勢をとる。ところが、一番後ろでただ一人着席を続ける議員がいる。瀬永亀次郎である。宣誓文には、「米軍民政府の布告、及び指令には従うこと」とある。宣誓拒否である。アメリカに対する挑戦状だ。「観衆のあいだでざわめきがいちだんと高くなった。気がつくと、風の向きが変っていた。強い南風が吹き、頭の上に長くのしかかっていた鉛色の雲が吹き払われて久しぶりに青空が顔を覗かせた――そんな爽快な気分が集まった人たちの間にひろがった」という。瀬長の行動は講和条約で祖国から切り捨てられ、いつまで続くかわからない米軍支配の現実に希望を失いかけていた沖縄の人々を限りなく勇気づけた。この一事で、瀬長は県民の間で英雄になる。

 しかし、ここから瀬長はそれまでに倍して米軍に睨まれ、迫害され、残酷に鞭打たれる。軍用地の一方的な収容に反対する請願などの先頭に立つ瀬長議員を、米軍はついに逮捕、軍事裁判で2年間の懲役刑に処する。出獄後、那覇市長選で当選すると、市への援助金の停止から、市の取引銀行の取引停止等あらゆる妨害の上に、刑法犯の経歴あるものは公職につけないとの一片の布告で、市長を追放する。こうした理不尽んで乱暴きわまる迫害に抗して、瀬長を中心とする県民のたたかいは広がり、やがて祖国復帰協議会という思想信条の違いを超えた統一戦線に発展していく。

 一方、詩人の山之口獏は、困窮生活のなかで、ひょうひょうと詩を書き続ける。やがて、周りの人たちのカンパで、沖縄へ一時帰省するチャンスが巡ってくる。喜び勇んで何十年ぶりかで訪れた那覇は、すっかり昔の面影を失い、米軍の金網に閉じこめられた外国のようであった。帰京後、獏はすっかり元気をなくしていく。また、沖縄資料センターでは、そこに勤務するただ一人の職員であるミチコの目をとおして、中野の独特の風貌と人柄が描き出され、1972年の沖縄の祖国復帰に向けて、その活躍は瀬長らと交差してくる。瀬長、山之口、中野のそれぞれジャンルを異にした、ユニークな人間像が、作品に広がりと深みを与えている。土地を奪われ、婦女暴行など米兵の犯罪の被害に泣き寝入りさせられ、絶え間ない米軍機の騒音と相次ぐ墜落事故の犠牲となる沖縄県民の苦難の実態とたたかいがリアルに描き出されていて、なかなか読み応えのあるすぐれた沖縄戦後史となっている。(2023・5)