池澤夏樹『また会う日まで』(朝日新聞出版、2023・3)

  作者の池澤夏樹は、1945年生まれ。1988年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年、『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞を、『静かな大地』で親鸞賞、司馬遼太郎賞を受賞している作家である。「朝日」に連載(2020~2022)され、B5判で700ページを超す大作である本書は、作者の大叔父(祖母の兄)である秋吉利雄(1892~1947)の生涯をたんねんに跡づけている。秋吉は、海軍少将まで務めた生粋の軍人でかつ天文学者聖公会というプロテスタントの教派に属する熱心なキリスト教徒であった。現役の軍人で学者、キリスト教徒という一見相容れない三つの要素を一身にそなえて生涯をまっとうした稀有なる経歴に魅かれて、読んでみる気になったのだが、なるほどこういう人生もあったのかと、教えられるとともに、日本の近現代史を見る視野も少し広がったというのが、率直な感想である。利雄の遺族から大量の資料を提供される幸運に恵まれた作者は、「大叔父の生涯に導かれて日本近代史を書いてしまった。とんでもなく手間がかかった」と述懐しているが、さもありなんと思う。

 信仰の厚いクリスチャンの家庭に生まれた利雄が海軍兵学校に進んだのは、軍人になるという使命感より、貧しい家庭で学費が免除になるという経済的理由による。海軍兵学校での生活などもたんねんに描かれていて、初めて知る筆者の興味をそそる。海軍将校の道を歩む利雄は、海軍大学校に進み、そこから東大理学部の物理学科に進学、物理、天文学を修めて、海軍の水路部という特異な部署にみずからすすんで就任する。大洋を航海する艦船や空中を活動の場とする航空機は、自分がどこにいるかをたえず確認できなければ、航路を定めることも、艦砲や砲弾を敵に命中させることもできない。天体観測にもとづく精密な海図、航空暦が不可欠である。これを作成し供給するのが水路部である。天体観測と精密な計算という、実戦とは直接関係はないが、それなしには戦もまともな航海もできないという大事な部署である。利雄は、海軍将校として当然の軍艦乗務では、日曜ごとに教会に通うこともできない、恋女房と毎日夕食を共にすることもできない。彼にとって水路部は、他にかえがたき働き場所であったのである。地味な目立たない仕事だが、1934年、太平洋上の孤島、ローソトップ島で金環食を観測するために、国際的な観測団を組織して、機材の運搬から観測施設の設営、観測隊の配置などを指揮する機会があった。利雄にとってマスコミをにぎわせるような活躍は生涯を通じてこれ一回きりである。

 1941年12月8日、ハワイの真珠湾奇襲によって対米英戦争が勃発する。緒戦の勝利に沸いた戦局はあっという間に急転、海軍の主力空母、戦艦をはじめとする艦船は、米軍の主として空からの攻撃によって次々に撃沈され、日本は制海権、制空権を奪われ、敗戦必至になっていく。海軍内には、それらの情勢を客観的に冷静にとらえ、早期の戦争終結に断を下す高級将校も少なくなく、その情報は利雄の耳にも入ってくる。最初の妻に先立たれた利雄が再婚した相手は、アメリカ留学の経験を持つ熱心なクリスチャンで、アメリカに友人も多く、早くから日本の敗戦を予見している。宣教師をはじめ在日米人らが、強制収容、帰国を強要され、キリスト教系学校や病院などへの圧力、迫害もつよまるなか、海軍軍人でキリスト教徒の秋吉夫妻にたいする軍内外からの偏見と圧力が強まって不思議はない。しかし、秋吉の仕事の重要性を理解する海軍最高司令官の山本五十六は、彼を守るよう厳命を下す。本土空襲が激しくなる戦争末期には、東京築地にあった水路部は、貴重な資料や資材を各地に分散させ、秋吉自身、自分の部署とともに、岡山に疎開する。そして予見通りの敗戦。米軍占領下で、海軍少将の利雄は当然、現役を退き予備役となり、公職追放となって、一切の官職を失う。そのうえ、軍人恩給の支給も停止される。英語の堪能な妻がGHQに雇われ、その収入が一家の唯一の財源となる。失意のうちに、息子の光男と野球観戦中に雨にうたれて体調を崩した利雄は、入院した病院で娘の洋子の看護を受けつつ54歳で生涯を終える。

 作者は、この大叔父の生涯をできうるかぎり資料を駆使しながら、みずからの主観や評価をまじえずにたんたんと追っていく。そこから何をくみ取りどう評価をくだすかは読者の自由にゆだねられる。それがこの作品に独特の風格を与えている。(2023・7)