池澤夏樹『静かな大地』(朝日新聞社、2003)

    同じ作家の最新作『また会う日まで』(朝日新聞出版)を読んだのを機会に、この作家の別の作品も読んで見ようと思い、やはり「朝日」(2002~2002)に連載されたこの作品を選んだ。前者が、海軍少将で天文学者、クリスチャンという異色の人物の生涯を描いているのにたいして、こちらは明治の初年、北海道に入植してアイヌと親交をむすんだ兄弟をテーマにした作品である。アイヌの苦難の歴史を描いているというので、食指が動いた次第である。これも600ページ余の大作である。この作家は、こうした長編を書くのを得意とするようである。

 維新をめぐるひと騒動の後、武士の資格を失った淡路島の士族が集団で北海道の静内に入植する。住むところも食べ物の目途もないまま未開の大自然に挑み、森林を伐採して根を掘り起こして耕地や牧場をひらくという未曽有の苦難に耐えての入植生活である。しかも、士族だから農業の経験もなく商売の仕方も知らない。かろうじて持参したわずかの家財を火災で失い無一物となり、そのうえ後続の入植部隊が渡航の途中で嵐に遭って全滅するという不幸も重なり、前途は途方もなく多難である。主人公の宗形三郎と弟の志郎は、両親と一緒に静内に上陸するが、接岸できない船に迎えに来たアイヌの通司に同行したオシアングルという少年に出会い、終生の友人となる。これが機縁になって、三郎は志郎とともに当時の和人にしては異例のことだがアイヌの人々と親しくなり、アイヌ語もマスターし、アイヌ人の集落に溶け込んでいく。大自然とともに生きるアイヌの人たちの生活や習慣、宗教にも理解をしめし、やがてアイヌ人と共同で馬を育てる牧場を経営するようになっていく。

 三郎は、頭脳も明晰で行動力もあり、選ばれてクラークが教鞭をとる札幌農学校と併設されていた札幌官営農業現術学校にも派遣され、最新の農業技術や牧畜の知識も身に着け、22歳の若さで静内の戸長を務めるなど、地域の有能な指導者に成長していく。弟の志郎は、この兄を尊敬しその導きにしたがってそれなりの業績を積んでいく。三郎は、出生は和人だがアイヌとして育てられたエカリアンという聡明で活発な女性と結婚する。

 この三郎に対して、アイヌ土人として蔑視し差別し搾取、収奪の対象としかみない日本人の入植者らが、尊敬の気持ちとともに違和感、反発、敵意を強めていったのも、当時としては不思議ではなかった。三郎がアイヌとともに経営する牧場が成功し、そこで育った馬が陸軍の軍馬として重要視されるようになるなど評判を高めれば高めるほど、これに対する妬みとともに、反発も広がっていく。そして、やがて中央政府の高官の配下らしき政商が乗り込んできてアイヌの排除を前提とする宗形牧場買収にのりだしてくる。和人とアイヌの対立はいやが上にも掻き立てられ、間に立つ三郎は窮地に立たされ、次第に心を病むにいたる。

 三郎亡き後、牧場は消滅し、志郎も病を得て娘の由良とともに老後を札幌で送る。志郎は先だった三郎の生涯を毎晩のように由良に語り聞かせる。由良は父の亡き後、三郎の生涯を

書き残そうと調査、聞き取りをすすめ、やがて一冊の著作にしあげる。この由良の目をとおして、三郎の生涯とアイヌとの親交、交流、共同の全容を語るというのが、この作品全体の仕組みとなっている。明治の初年にこういう人物も存在したのか、という感慨とともに、かつての松前藩の場所請制度による過酷な収奪にはじまる和人による搾取、差別、排除策で追い詰められていくアイヌの苦難の歩みが、大きな視点で浮き彫りにされていく。失われていくアイヌの言語、習慣、文化の様相などが、具体的な事例でリアルに描かれているのもこの作品の得難い特質として指摘しておきたい。(2023・7)