村上由佳『風は西から』(冬幻社)

 作者は『ダブルファンタジー』など恋愛小説をもっぱら書く人と思っていたら、ブラック企業をテーマにした社会的な作品を書いたというので読んでみることにした。

 和民をモデルにしたとすぐに推定される外食系大手企業・山瀬に働くまじめで責任感の強い元来快活だった青年、健介が、肉体的にも精神的にも疲労困憊し、ボロボロになるまで追い詰められてマンション6階から投身自殺する。その一段一段を恋人で食品メーカーの営業部に勤める千春という女性の眼をとおしてリアルに描き出している。

 もともと過重労働でデートもままならない状況に置かれていた健介は、ある繁華街の店の店長に就く。人手不足を解消するための人員補給を何度本店に要請してもなしのつぶて、始業2時間もまえに出勤して開店の準備にあたり、閉店後もアルバイトを帰した後深夜まで残業、終電に間に合わず、職場のソファーで夜を明かす。たまの休日には、本店の企画する研修がびっしり、建前は自主参加だが事実上の強制、終わればレポートをまとめなければならない。

 そのうえ、一日の売り上げが本店の定めた業績ラインを割るようなことがあれば(これをテンプクという)、一番忙しい土曜日の朝、本店の呼びつけられて、20人もの役員の前で徹底的につるし上げられる。暴力こそふるわれないものの、すべての人権と人間の尊厳を踏みにじる集団リンチである。二度とこんな目にあわないないために、出勤簿から自分の勤務時間を自発的に削ったり、アルバイトを所定の時間前に帰宅させたりして人件費を浮かせる。そのぶん、深夜におよぶ自分の残業でカバーする。

 健介はこうした過酷な労働によって心身ともに蝕まれていくのだが、その一歩いっぽを心配しやきもきし、みずからも傷つきながら見守る恋人の視点で描いているところに、この作者らしいところがある。そしてそのことによって、問題の深刻さと残虐さがよりリアリティをもって読者に迫ってくる。たとえば、健介の自殺の直前に「健ちゃんなら頑張れる」と励ました言葉が、自殺への残酷な後押しになったのではないかと、千春は自分を追い詰めざるを得ないのである。

 健介の実家は、広島で地域に愛される飲食店を経営している。大学で経営学を学び、就職先で経験を積んで両親の店を継ぎ店の規模も広げたい、というのが健介の夢であった。両親もそういう息子を自慢に想い、期待もしていた。健介の死にたいする会社の対応にどうしても納得できないのは、千春だけでなくこの両親であった。3人の必死の努力で労災は認定されても、会社は健介の死にたいして会社としての責任を認めず謝罪もしない。会社側のかたくなな態度で調停も不調に終わり、何年にもおよぶ裁判闘争にもちこまれる。しかし、弁護士の協力によるマスコミへの対策も効果をあげ、ブラック企業のイメージも広がり、山瀬は次第に追い詰められていく。創業者でワンマンの社長が、ついに頭をさげ、裁判は勝利に終わる。

 モデルとなった事実がそうなのだが、ブラック企業の犠牲になる若者の悲劇にとどまらず、これを告発し、たたかい抜き、勝利するまでの苦闘がえがかれているところに、この作品の大きな特徴がある。恋愛ものをもっぱらにしてきた作者がよくぞここまで書き抜いたものと感服し、敬意を表さないわけにいかない。そのたたかいのなかでは、ブラック企業で働く労働者の協力、内部告発が大きな役割をはたしている。千春のたたかいを温かくみまもる職場の同僚たちの存在も見逃せない。働く人たちの連帯が、そこに生き力を発揮しているのを確認できる。こうした作品が民主的な陣営の書き手からこそ、もっともっと書かれることを期待したい。(2018・9)

ジェフリー・アーチャー『嘘ばっかり』(新潮文庫、2018・8)

 作者は現代のディケンズを自任している。この間、7年がかりで『クリフトン年代記』という超大作を上梓したばかりである。まずしい造船労働者の息子であるクリフトンは、母親の献身的な努力によって、パブリックスクールを卒業して、ケンブリッジ大学に学ぶ。そこで、造船会社の経営者の御曹司であるジャイルズと親友になり、その妹エマと恋愛、幾多の試練を経て結婚にこぎつける。クリフトンは、作家として成功し、ソ連で収容所に監禁されるサハロフ救出などの運動でも国際的な評価を得るに至る。一方、ジャイルズは労働党選出の代議士になり、国政を舞台に活躍する。エマは、父親の造船業を引き継ぎ経営者として力を発揮し、押しも押されもしない実業家として成功の道を歩む。この三人を中心にした親子三代にわたる大河小説である。本作は、この大作を書き終えたばかりの作者の短編集である。新作だけではないとはいえ、そのエネルギーに感服するしかない。

 この短編集には16編の作品が収められている。そのなかに表題の「嘘ばっかり」という作品が見当たらないのはどういうわけだろう。このあたりにも、作者の諧謔を読み取ることができて面白い。16編のなかには、珍しい試みが見られる。そのひとつは、冒頭の作品「唯一無二」と最後から二つ目の「完全殺人」である。「唯一無二」は、ニューヨークのリーダイスダイジェストから、百語きっかりで起承転結のある物語を書けるかと挑まれたのに応じたものとある。唯一無二の切手の二枚目が発見されたというディーラーの前で、コレクターがその切手を焼き捨てて「唯一無二」を説くという話である。「完全殺人」も同じ系列の作品である。

 もう一つユニークなのは、本書の最後に、作者の代表作である『カインとアベル』をも、『クリフトン年代記』をも上回る傑作という触れ込みで、次作の予告にとどまらず、その最初の3章を収録していることである。次作の予告はこれまでもありえたことだが、実際にその作品の一部を予告的に掲載するという試みはかつてなかったのではなかろうか。この辺りにも、この作者の意表を突く面白さをみることができる。旧ソ連でKJBに夫を殺害された主人公の女性エレーナと息子のアレクサンドルは、エレーナの弟の協力を得て秘かにソ連を脱出しイギリスに向かう、というのがその内容である。たしかに、途方もないスペクタクルと大ロマンスを予感させる。巻末の解説によると、すでに原文は訳者のところに届いていて、年末には翻訳が刊行される予定という。いまから楽しみである。

 収録作品のうち、特に私の興味をひいたのは、「だれが町長を殺したのか」という作品である。イタリアのナポリの北にあるコルトリアという集落が舞台。ワインとオリーブ、トリュフの産地で、平和で豊かな暮らしを何百年も続けてきた。この村に突如としてマフィアの親分でもあるかと思わせる外来者、ロセッティが闖入し、村長の座につく。たちまちのうちに重税と脅迫によるミカジメ料が村民を襲う。村民がその圧政に耐えがたくなっているときに、ロセッティが何者かによって殺害される。ナポリから派遣された若い刑事が捜査にあたるが、村の有力者のだれもがロセッティを殺したのは自分だと自主的に証言する。しかし、殺害方法などを問うといずれも警察の検視報告と矛盾する。ほとほと困惑する刑事ははたしてどう対処したか、という話である。

 アーチャーは、若くしてイギリスの下院議員に当選。しかし詐欺に遭遇して全てを失うが、その顛末を「百万ドルをとりもどせ」という作品に書いて、これがベストセラーに。今度はロンドン市長選に打って出て当選するが、高級娼婦のからむスキャンダルに巻き込まれて、逮捕、禁固刑に処せられる。その顛末を『獄中記』などに書いてヒット、現代イギリス作家の押しも押されもしない第一人者となっている。,その経歴そのものが、何ともスケールが大きく波乱万丈そのものである。こんな作家は、世界中を探してもお目にかかれないだろう。(2018・9)

あだたら高原・岳温泉逗留記(2018・9・3~6)

  今年の夏は文字通りの酷暑でとても遠出をする気にならず、冷房の効く部屋にとじこもりきりであった。夏ばてをのりきるためにも、9月に入ったらどこか温泉にでもということになり、次女に探してもらって推薦されたのが福島県のあだたら高原にある岳温泉である。高村光太郎の妻、千恵子の故郷で、心を病んだ千恵子が「東京には空がない」というのであだたらに連れ帰ったら、「この空こそ本当の空だ」と喜んだという話はよく知られている。そんなことも念頭にあって、一度は訪れてみたいと思っていたところである。

 次女によるとJRとホテルとの契約でウィークデーの一定の時間帯にかぎる格安のツアーが提供されているとのことで、それにあやかって、あだたら高原・岳温泉にある櫟平ホテルに3泊4日の逗留計画を組んだ。ところが折悪く、超大型の台風21号がちょうどこの時期に来襲するとのこと、取りやめようかという妻の提案もあったが、山登りはむりにして、温泉でのんびりできるのだからと、ともかく行ってみようと決断する。

 

<第1日>

 9月3日朝、小田急ロマンスカーで新宿へ、そこから中央線快速で東京駅に赴く。東京の中心オフィース街を目にするのは久々である。駅の売店で私はサーモンの蒲焼、妻はサンドウィッチを昼食弁当に買って、12時30分発の東北新幹線に乗る。東京駅を離れてしばらくすると田園風景が広がる。稲穂が色づいてそろそろ稲刈りの季節到来を告げている。そんな景色を眺めているうちに郡山駅に到着、在来線に乗り換えて二本松駅で下車する。二本松駅は初めてだが、駅前に戊辰戦争で戦った少年兵であろう、剣をかざした若者の銅像が目にとまる。ホテルから送迎のマイクロバスが待機していたので乗り込むが、これがなかなか発車しない。運転手は何も説明をしてくれないばかりか、ワイシャツのボタンをはずして胸をはだけているなど不快な印象をぬぐえなかった。これが今回の旅行の第一印象で、幸先は良くはなかった。

 ようやく発車したバスは、広い田園地帯を一路あだたら高原をめざす。約20分で岳温泉に到着する。あだたらはなだらかな起伏の高原で、のびやかな丘陵地帯と言ってよい。その裾野に岳温泉があり、温泉街のとりつきに鏡ケ池という静かなたたずまいの池がある。そのほとりに建つ大きく立派な近代ビルが目に入ってくる。これがわれわれの泊る櫟平ホテルである。ホテルのロビーは天井が高く広々としている。フロントの女性たちは親切でテキパキと客をさばいている。私たちの部屋は、4階の404号室で、落ち着いた感じの和室である。部屋の窓からは鏡ケ池の全景が眼下に広がる。まるで箱庭のような景観で、二人ともとても気に入る。天候は荒れ模様だが、夕方になると雲が切れてきて、部屋の反対側の廊下からあだたら山のなだらかな稜線を目にすることが出来た。

 さっそく浴衣に着替えて温泉に浸かることにする。浴場は一階にあり、大浴場に露天風呂、薬草湯もある。夕方5時までという時間を切って、露天風呂に隣接して樽酒のサービスがついている。木製の升に紙コップを置いてこれに樽酒を注ぎこんで、湯につかりながら飲むのである。さっそくこれにあやかる。夕食はやはり一階にある広いレストランで、和食である。ビールで乾杯し、地酒を呑みながらゆっくりと堪能する。

 

<第2日>

 台風の接近で天候は荒れ模様である。早朝、朝風呂に浸かったあと、どんより曇った空をながめながら散歩に出る。鏡ケ池をぐるりと一周し、その隣にある緑池をも周回する。萩の花がはやくも咲いている。池にはカルガモが何十羽も住みついていて、悠然と泳いでいる。湯上りにすがすがしい高原の空気を吸い込み、すっかりリラックスした気分になる。

 妻と今日の行動について相談する。ロープウエイであだたら山へ登るのが今回の旅の一番の目的なのだが、台風の接近で山はガスがかかっていて視界がきかない。それでも行くかどうか思案する。そもそもロープウエイが運行するのかどうかも分からない。フロントに相談すると、ロープウエイの駅に問い合わせてくれ、運行はするが、風が強まれば休止することになるという。そこで、きょうの山行きは断念する。台風が一番接近するのは今夜だから、明日は晴れるかもしれない、と翌日に期待をつなぐ。

 そこで部屋でゆっくりした後、温泉街を散策する。朝散歩した池の周りを妻と一緒にもう一度まわったのち、ホテルから山の方に伸びる道路に沿って坂道をゆっくり登る。

ホテルを出ると道の両側に桜の老木がつづく。桜坂という。少し歩くと左手に足湯の小屋がある。その先が十字路になっている。これを渡ると、広い道の両側にホテルや旅館、お土産屋や飲食店が並ぶ。道路の真ん中にはヒマラヤスギが植えてあり、そこからヒマラヤ大通りと名がつけられている。坂道を登りきると正面に温泉神社という社がある。ここが、あだたら山への登山口入口である。そこからさらに5キロメートル登ったところに登山口、ロープウエイの乗車駅がある。奥岳温泉もここにある。 

 お昼になったので、街中にあった蕎麦屋で蕎麦を食べる。午後は、部屋で読書に勤しみ、夕方もう一度散歩に出て、お風呂に夕食へとつなぐ。文字通りのんびりした一日であった。

 

<第3日>

 台風は昨夜通り過ぎたようである。四国、近畿地方に上陸し、秋田沖に抜けたとテレビは報じている。近畿、とくに大阪に大きな被害をおよぼしたらしい。関西空港が使用不能になり、3000人もの人がすべての便が欠航した空港内で夜を明かしたという。

きょうは台風一過だが晴天は望めない。しかし、次第に天候が回復していくことは間違いなかろう。だったら、今日は山へ行くべきだ。こういう論建てで自らを納得させて朝からロープウエイであだたら山へ挑戦することにする。

 山用の服装と雨具、傘などを装備して、8時45分にホテルの車で出発する。一行はわれわれ夫婦の他、女性二人に男一人の家族らしい三人組の大人だけである。マイクロバスは、昨日散歩で訪れた温泉神社のわきを通って一路、登山口をめざす。霧がかかっているが濃い緑に覆われた高原はすでに秋の気配もして心地よい。こちらの願望も加わってか、ガスは次第に薄れていくように感じられる。9時に、ゴンドラの発着駅のある登山口、奥岳温泉に到着する。駅は、山頂に伸びるなだらかな草原の斜面に据えられている。ロープウエイを降ってくるゴンドラが、霧のなかから突如として姿をあらわす。文字通り深い幽玄の世界である。

 さっそくゴンドラに乗ってあだたら山の稜線に連なる薬師岳にむかう。約10分で到着する。到着駅は、他の同様の施設が自慢するような展望はまったく期待できない。ここから約250メートル程離れたところに薬師岳展望台があり、そこまで脚を伸ばさないと眺望を楽しむことはできないようだ。ゴンドラを降りるとすぐあだたら山山頂への登山道に入る。紫色の可憐なリンドウの花があちこちに咲いている。登山道は木道となっていて歩きやすいのだが、さほど高くはないが人間の背丈を超える灌木に周囲を覆われて、視界はまったく閉ざされ、ただひたすら歩くだけである。やがて木道も終わり、赤土に岩が目立つ歩きにくい山道になる。杖をたよりの私はどういうわけか、山道へ入ると元気になるのだが、3、40分歩いて、次第に後方に遅れる妻を待ちながら、これ以上進んでも視界は開けそうにないと判断し、このあたりで引き返す決断をする。もともと山頂までは無理とあきらめていたので、予定通りの退却である。

 登山道をもどって、薬師岳展望台に出る。岩だらけのガレ場で、なんのいわれか大きな鐘が据えられ、「この空が本当の空」という高村智恵子の言葉を刻んだ塔が建っている。幸いなことに霧も晴れてきて、ここからはあだたら山の全景を望むことができた。おかげでゴンドラを降りて以来の欲求不満は解消し、しばしのびやかな稜線からひろがる緑の景観を堪能する。今回の旅の最大の目標はこれで達成したことになる。

 ゆっくり休んでゴンドラで降る。ゴンドラ駅の周辺は、イルミネーションの施設が設置されていて、夜間には美しい光の世界を創出してくれるようだ。近くには奥岳温泉の入浴施設もある。ホテルのマイクロバスで宿にもどり、昼食をとった後ゆっくり読書、夕方になってホテルの下方、鏡ケ池の西側へ散歩にでる。コスモスの咲くのどかな高原をゆっくりと歩く。今日は私の誕生日である。夕食には、ビールでお祝いの乾杯をして、地酒をゆっくり賞味する。この歳まで生きのびようとは考えもしなかったが、さてこれからどう生きていくか、そんな思案も頭をかすめる。

 

<第4日>

 きょうは帰るだけである。いつも通り早朝、湯につかり、鏡ケ池周辺を散歩。朝食の後、9時30分にホテルのマイクロバスが出発し、二本松駅にむかう。本来なら、二本松で二本松城跡や千恵子記念館を訪れたいところだが、格安ツアーの悲しさ、帰りの新幹線の列車時刻は指定されていて、変更は許されない。せめてもの記念に、JR二本松駅をカメラに収める。

 郡山までの在来線の列車の窓からは、色づいた田園のかなたにあだたら山の全景をのぞむことができる。名残りを惜しみながら、その姿を脳裏にしっかりと収める。新幹線は郡山10時37分発である。昼過ぎには東京駅に到着する。駅の弁当売り場の片隅に、休憩のための椅子とベンチが据えられているところがあり、そこで昼食をとる。ウニイクラ丼とサンドウィッチである。レストランはいまどきどこも勤め人で混んでいるだろうというのが、そこを選んだ理由である。自宅には3時前に到着する。台風に脅かされはしたものの、遅ればせの夏休みはまずまずの首尾というところか。

 

ディケンズ短編集(小池滋、石塚裕子訳、岩波文庫)

 

 ディケンズと言えば、大長編作家というのが常識である。『短編集』があるというのは知っていたが読んだことはなかった。このたびこの作者の作品を系統的に読んできたので、この機会に目を通すことにした。収められているのは、初期の長編である『ピクウィック・クラブ』のなかに織り込まれている挿話などが中心で、独立した作品として発表されたものは、後半の「追い詰められて」「子守女の話」「信号手」「ジョージ・シルバーマンの釈明」の4本だけである。「墓堀り男をさらった鬼の話」「旅商人の話」「奇妙な依頼人の話」「狂人の日記」の4篇は『ピクウィック・クラブ』からの収録、「グロッグツヴィッヒの男爵」「チャールズ2世時代に獄中で発見された告白書」「ある自虐者の物語」の3本は他の長編小説に収められていた挿話である。

 ディケンズは他にも多くの短編小説を書いているようだが、本書の解説によるとここに収録した作品には次の三つの特徴が際立っているという。「1、超自然的で、ホラーとコミックが奇妙に混在していること、2、ミステリー的要素が強いこと、3、人間の異常心理の追究」。そういえば、『ピクウィック・クラブ』などは、主人公のピクウィックが無類の好人物で禿げ頭に鼻眼鏡をかけた太っちょという設定で、明るくユーモラスな作品だが、どういうわけかそのなかに挿入されている逸話は、いずれも暗く陰湿な人間がえがかれている。最初の「墓堀り男をさらった鬼の話」は、クリスマスの夜に陰気で孤独な男、ゲイブリエル・グラブが鬼に出会い、改心を迫られるという話である。クリスマスの三夜にわたって孤独で貪欲な主人公が幽霊に諭される後の『クリスマス・キャロル』の原型ともいえる話である。「奇妙な依頼人の話」は、借金が返せないで債務監獄に入れられている間に、妻と幼いこどもを極貧のうちに亡くした主人公が、家族の窮状を黙殺した妻の兄に復讐する話である。

 「ある自虐者の物語」「ジョージ・シルバーマンの釈明」は、恵まれない環境にそだった主人公が周囲の人たちの善意や親切をことごとく自分に対する優位を示す裏のある行為と受け取るという特異な心理を描き出した作品である。自己卑下と裏腹の周囲に対する軽蔑、さげすみが結局のところ自己を破滅に導くというストーリーである。他の作品も似たり寄ったりで、いずれも暗く陰湿で、なかにはスリリングな要素の強いものもある。

 『ピクウィック・クラブ』のような明るく陽気な作品のなかになぜディケンズがこのような挿話を挟み込んだのか、正直のところ理解に苦しむ。物語の展開による必然性もまったくないのである。当時長い作品のなかに、独立した小編を織り込むのが一つの作風だったと言えばそれまでだが、それにしても作品と異質な感は否めない。

 ディケンズは、軍人であった父親が家計の破綻で一時債務監獄に収容されたさい、10歳そこそこで少年工として靴墨工場でのきびしい労働を強いられている。いまも残るきわだった階級社会で最下層の労働者に貶められた屈辱と絶望は、感受性の強いこどもだったディケンズの生涯とその精神生活にとって、癒すことのできない傷跡を残したといわれている。暗く陰湿でいじけた人間を、貧困や債務奴隷の悲劇とともに描くことに執着した背景には、ディケンズ自身のこうした体験があったことは間違いないであろう。そして、そのことがディケンズの眼を貧困や下層社会をふくむ社会全体に向けさせ、作品の広がりと厚みを生む力になったことも明らかであろう。陰気で暗い人間を描いた短編集はそのことを教えてくれる。(2018・8)

 

アイザック・ディネーセン『アフリカの日々』(横山貞子訳、晶文社、1985)

 朝日新聞の読書欄に比較的最近紹介されていたのを目にとめ、興味をひかれて読んでみた。作者、ディーネセン(1885~1962)は、デンマークを代表する作家だが、作品を読むのは今回が初めてである。ディネーセンは、1914年にスェーデンの貴族プリクセン男爵と結婚してアフリカに渡り、ケニヤのナイロビ近くの高地に6000エーカーの土地を購入して、コーヒー農園の経営に乗り出す。しかし、農園は海抜が高くコーヒー栽培には適さなかったうえ、結婚生活はすぐに破綻、にもかかわらずアフリカを愛する作者は、大地にしっかり根を下ろして1931年まで18年間、農園経営で苦闘を続ける。その体験を回想的につづったのが本書である。1934年に初版が出ている。作品は1985年に公開されたシドニー・ボラック監督、メルリー・ストリープ主演の映画「愛と哀しみの果て」の原作である。映画は、アカデミー賞を受賞している。

 ケニヤは当時イギリスの植民地であった。作者は植民地経営の一端を担う支配者としてそこにおもむいたのである。相手は文明のおよばぬ未開の大地であり、住民は、マサイ、キクユ、ソマリ族などの野蛮な原住民である。多くの西欧人が当然のこととしてこの地と人々を軽蔑し、いかなる意味でも自分達とは異質の一段劣った人間として突き放してとらえていた。そんななかで、ディネーセンはアフリカの大地、ケニヤの高地の豊かな緑と爽やかな風、象やキリン、バファローなどの野生動物が駆け抜ける草原など、その豊かな自然に魅せられただけではない。様々な種族からなるアフリカの人々になじみ、その文化と伝統、生活様式、あるいは思考様式を深く理解し、それらを公正に評価し尊重するだけでなく、敬意をもって接する。一言でいえば、アフリカの自然と人々との交わりに、みずからの新たな生命と息吹をみいだしたのである。

 例えば、自分の農園の一部を借りて耕作をする原住民との関係について次のように述べる。「私は六千エーカーの土地をもっていたので、コーヒー園以外にかなりの空地があった。農園の一部は自然林で、一千エーカーほどが借地、いわゆるシャムパスになっていた。借地人は土地の人で、白人の農園の中で何エーカーかを家族とともに耕作し、借地賃代わりに、年に何日か農園主のために働く。私のところの借地人たちはこの関係について別の見方をしていたと思う。というのは、彼らの大半は父親の代からその場所で生まれ育っているからだ。彼らの方では私のことを一種の高級借地人とみなしていたらしい」 ここでは、主客が逆転して、自分達こそ土地の主人公だという原住民のプライドを素直にそのまま認めているのである。自宅の邸宅には、大勢の原住民が従僕としてあるいはハウス・ボーイとして働いている。これらの人たちに対しても、主人公はきわめてていちょうであり、温かく節度のある接し方をしている。

 あるとき、屋敷のしごとを手伝っている子供たちの間でたまたま猟銃の誤射事件があり、一人の子どもが死亡し、一人が瀕死の重傷を負う事件が起こる。西洋の常識では、犯人は誰で、犯行の動機はなにかをまず究め、それによって量刑を判断する。ところが、ケニヤの原住民の間では、まず被害者の損失はどれほどか、それを償うには牡牛何頭が必要かが問題になる。犯行にどういう動機があったかなどはさほど重要視されないのだ。こうした、文化の違い、思考様式の違いをよく観察し、それにたいして理解と尊敬をしめす。ここにディネーセンの卓越した人間性があらわれている。

 アフリカの人々が植民地支配から脱却して自らの手で独立した国家をつくりだしている現代なら、ディネーセンのような態度や思考はさほど珍しいものではないだろう。しかし、時代は、二〇世紀初めという植民地主義の全盛期である。アフリカとそこに生きる人々への人間としての温かさ、偏見のない心の広さ、率直さは、敬服に値する。美しくたくましいい自然の描写とあわせて、本書がいまも読者を魅了するゆえんである。(2018・8)

  

チャールズ・ディケンズ『ピクウィック・クラブ』(北川悌二訳、ちくま文庫)

 ディケンズが24歳のときに書いた最初の長編小説である。最初は出版社が著名な画家の絵の連作出版を企画し、その絵に添える文章を新人のディケンズに依頼したのだが、文を主体にしてこれに絵を添えてはどうかとのディケンズの逆提案によって実現したのである。ピクウィックという実業界を引退した富裕で無邪気、格別に人の良い人物を中心にした社交クラブ、ピクウィック・クラブで、ピクウィックが3人のが友人とともに、従僕のサム・ウェラーを従えて旅に出て、旅先での経験や失敗談を報告するといった形で話が展開される。だから、出たとこ勝負でまとまったストーリーや構成があるわけではない。それだけに、自由奔放にはなしが次々に繰り出される。初版は400部だったが、たちまち4万人の読者をもつベストセラーになり、作者を一躍して売れっ子作家に押し上げたという。

 こうした系列の先行作品として代表的なのは、スペインのセルバンテスが書いた『ドン・キホ~テ』がある。こちらは理想に燃える騎士、ドン・キホーテがその夢と理想を悉く裏切る世俗にまみれた現実に悲憤慷慨して笑いをさそうのだが、『ピクウイック・クラブ』の方は、善意と人間愛にあふれた好人物が、資本主義の勃興期をむかえる19世紀イギリスの世知辛い現実に直面して、はめられたり、裏切られたり、失敗を重ねたりしながら、読者を笑いとユーモアに誘い、それらを通じての鋭い社会・文明批判ともなっている。

 もともと、16、7世紀のスペイン、イギリスなどにピカレスク小説と言って、多くの場合、下層階級出身の悪漢が旅先であばれまわり活躍するという系列の物語が読まれていたという。『ドン・キホーテ』などもその系列の傑作のひとつといえる。そういえば日本にも、江戸時代の19世紀初めに十返舎一句による『東海道中膝栗毛』なる道中記が出版され、評判を呼んでいる。いわゆる弥次さん、喜多さんのコンビが、旅先での滑稽なふるまいで笑わせるという趣向の読み物である。こちらは、正義や人道、社会批評といった要素は少なく、もっぱら滑稽に終始しているから、その社会的な意味合いは異なるが、洋の東西で旅行記という体裁をとった風刺作品が登場したというのは興味深い。

 さて、肝心の『ピックウィック』だが、登場人物は主人公は、禿げ頭ででぶっちょ、鼻眼鏡をかけている。従僕のサム・ミューラーは主人公とは対照的にスマートな生粋のロンドンっ子で、才知にたけ世慣れた青年、たびたび主人公の窮地を救うなど、ピクウィックの従僕としてはうってつけの人物である。同行する友人は、大の女好きでそれが失敗のもととなるタップマン、自称スポーツマンのウィンクル、詩人のスノッドグラース氏の3人である。すでに述べたようにストーリーがあるわけではなく、旅先での失敗談が多い。たとえばピクウィックが、ある詐欺師の紳士と従僕のわなにかかって、結婚詐欺から女教師を救うために寄宿舎制の女学校の寮に夜間しのびこんで、大騒動をおこしたり、あるいは、旅先の宿でピクウィックが夜間に部屋を間違えて、淑女の部屋に入り込んで、のっぴきならない窮地に追い込まれる等などである。

 なかでも注目されるのは当時の裁判制度にたいする風刺、批判である。ピクウィックは下宿しているのだが、そこの貸主であるバーデル夫人にたいしてちょっと親切なふるまいをしたのをプロポーズと誤解され、一方的な婚約破棄でこの婦人から訴訟を起こされる。悪徳弁護士や特権的だが常識に欠ける裁判官などによって、有罪判決を受けたピクウィックは、慰謝料と裁判費用の支払いを拒否して、当時存在した債務者監獄に収容される。作品の後半はこの債務者監獄の悲惨で非人道的な実態の告発に多くのページを割いている。

 とりとめもない話が続くという面もあるが、それらをつうじて19世紀前半のイギリス社会とそこに生きる貧者をふくむ人々のありさまが、実に生き生きと描き出されていて興味が尽きない。(2018・8)

 

奥泉光『雪の階』(中央公論新社、2018・2)

 作者は、1956年生まれ。94年に『石の来歴』で芥川賞、2009年に『神器』で野間文芸賞、2014年に『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞を受賞している。現在、芥川賞の選考委員をも務める。近畿大教授。以上の経歴からわかるようにベテラン作家である。しかし私が作品を読んだのは今回が初めてである。感想を一言でいうなら、1936年の陸軍青年将校によるクーデタ未遂、2・26事件前夜を舞台にしたミステリー仕立ての重厚な物語である。

   この作品は、武田泰淳の『貴族の階段』、または松本清張の最晩年作『神々の乱心』にヒントを得ていると言われる。武田の作品は読んでいないのでわからないが、松本の作品は比較的最近読んでいるので、なるほどとうなずかされる。皇室と新興宗教といういわば禁断のテーマに大胆に踏み込んだ作品である。『雪の階』も皇室や宗教をあつかうが、それは本来の純粋な日本と日本人を再興するために外来の血で汚された天皇による支配、国体を否定し、天皇制を一掃せよと主張する超右翼思想を特徴としている。

 女子学習院に通う惟佐子は、笹宮伯爵の令嬢である。和服の良く似合う美貌の持ち主であるとともに、なみはずれた才知に富み、数学と囲碁を趣味としている。親友の女学生で書にたける宇田川寿子が、いっしょに参加するはずの音楽会に姿を見せない。不審におもっていると、仙台の消印があるハガキがとどき、約束をほごにしたわびと再会への期待が記されていた。ところが、翌日、富士山の裾野の青木ヶ原で、寿子とある陸軍中尉との心中とおぼしき死体が発見される。寿子が妊娠中であることも判明。青木ヶ原で死ぬ人間がなぜ仙台からハガキをよこしたのか、疑問におもった惟佐子の探索がはじまる。

 華族の令嬢には、こどものころ“おあいて”なる付き人がつく。惟佐子は、元“おあいて”で今は新進の女性カメラマンになっている牧村千代子に相談を持ち掛け、牧村が知り合いの新聞記者、蔵原に協力を求める。こうして、華族の娘と二人のジャーナリストによる謎解きが始まる。おりしも、天皇機関説の排撃を説く右翼、陸軍などの不穏な潮流が跋扈し、惟佐子の父の笹宮伯爵は、その急先鋒となっている。そのため笹宮家には、陸軍将校や右翼、政友会メンバーなどの出入りが絶えない。惟佐子の10歳違いの兄も近衛師団の将校である。千代子と蔵原は、ハガキの発信地仙台におもむき、寿子の足跡を追うなかで、茨城県の鹿島にある紅玉院なる尼寺に行きつく。そこの庵主が霊能をもつとの評判で、皇族や高級軍人夫人などの出入りが絶えないという。庵主の素性を調べていくと、意外なことにこの庵主こそ、純粋な日本人の血を汚す天皇の排除を説く大元であることがわかってくる。寿子がこの寺をたずねたようだが、いったいどういうつながりがあるのか?

 謎がいよいよ深まるなか惟佐子は、来日したドイツ人のピアニストの演奏会に招かれる。ピアニストは、カルトシュタインといいドイツ心霊音楽協会なる団体の一員で、在独中の惟佐子叔父とつながりがある。叔父をつうじて惟佐子のことを知り、惟佐子に日光への観光案内を依頼してくる。そしてこのドイツ人が宿泊した旅先の宿で変死する。実はこのピアニストは、ナチスとつながっている。この事件の背後にも惟佐子の兄の影など不穏な動きが察知される。こうして謎は、国際的な広がりをもふくみつつ、幾重にも重なっていく。そして、惟佐子の兄をもまきこんで陸軍青年将校らの決起の日が刻々と迫る。クーデタの前々日、2月24日の夜、東京には、年来にない大雪が降る。2・26当日の東京は一面銀世界であった。

 軍部、政界をふくむ激動の歴史的背景と国際的な陰謀をうかがわせるスケールの大きな舞台設定で、右からの天皇制否定など独特な極右思想の持ち主を軸に、物語は重層的に展開されるのだが、事件の謎そのものは意外に平板な結末に終わる。その意味では、大ぶろしきのわりに、思想的な内容は乏しいというのが私の実感でもある。(2018・8)