今村翔吾『塞翁の楯』(集英社、2021・11)

   第166回直木賞受賞作である。時は戦国時代、秀吉の死を機に徳川家康の東軍と石田三成らの西軍が雌雄を決した関ケ原の戦いの直前、琵琶湖畔の大津城に籠った家康側の京極高次を毛利元康ら多勢の西軍が攻め、死闘の末高次側が降伏する。いわば関ヶ原の合戦の前哨戦というべき戦いである。敗れたとはいえ高次陣の奮戦で、西側の有力陣営が関ケ原の戦いに間に合わず、それが西軍の敗戦の大きな要因になったという。この大津城をめぐる死闘がこの作品の主な舞台である。ユニークなのは、この戦いをその主力である武士たちの側から描くのではなく、穴太衆飛田組という城の石垣づくりを担った石工集団とその頭目匡介と、西軍の側に立って城攻めの要を担った鉄砲職人の彦九郎とその集団という、職人同士のたたかいとして描いていることである。つまり、楯と矛、どんな砲撃にも耐える石垣づくりと、いかなる石垣をも打ち抜く鉄砲、大砲による攻撃との相克という、常人では思いもよらない発想で書かれた作品である。

 戦国時代の武士たちにとって頑強な城郭はなによりも必要とされ、城の骨格をなす石垣積みは専門技術として発達し、近江の一帯に石垣づくりの職人集団、穴太衆が形成され、九州から東北まで城主らによる城づくりの要請に応じていた。匡介はその一団で技術的に突出した飛田組の頭である。石工集団は、普段は山から石を切り出す組、切り出された石を作業場まで運ぶ組、実際に石垣を積む組と、三つの集団に分かれており、その共同作業によって石垣が築かれる。大津城のばあい戦時であるから、この三集団が一つになって一挙に石垣を築き上げるとともに、武士たちといっしょに城に立てこもって、城攻めの砲撃から城を守るために石垣を築き、砲撃から石垣を守るために、弓矢や砲撃の渦中で生命を危険にさらしながら、石垣の修復にあたる。

 一方、16世紀前半の鉄砲渡来で戦に鉄砲が欠かせなくなり、鉄砲づくりの専門集団が形成され、彦九郎らは砲撃力が強く、命中率の高い鉄砲を繰るためにつくるために智恵と力を集中する。大津城攻めでは、火縄銃だけでなく後詰め銃も使われ、天守閣砲撃のために大砲も投入される。城内に石垣をきずいて防戦する匡介ら対して、大砲で石垣をくずし、一刻も早く落城させ、城攻めの部隊を関ケ原にむけられるようにと、死に物狂いの攻撃がおこなわれる。匡介と彦九郎との対決が、この作品のクライマックスあり、その描写は迫真の様をなして読みごたえがある。

 戦国時代の戦を描いた作品は無数にあるが、このように職人のサイドから迫ったのは他に類がないのではなかろうか。匡介は、幼い時に戦さに巻き込まれ落城した城下で母と妹を失っており、彦九郎も戦で父を失っている。ふたりともそんな生い立ちもあって、戦のない世をつくりたいという思いが人一倍強く、自分の職をみがくことによって、そんな世をむかえる為に一役買えるのではという希望を持っている。どんな攻撃にも耐える城が出来れば、攻撃が無意味になり、どんな石垣も突破できる鉄砲ができれば、戦をしようという人間はいなくなるのでは、というわけである。武士ではなく、職人だからこその発想であり夢である。こうして戦のない世をという、平和への願いがこの作品に単なる戦のはなしにとどまらないふくらみを与えている。ただし、落ちない城と無敵の砲という次元からの着想が、実際に成功しているかどうかは、なんともいえない。また、大津城城主の京極高次という人物の人間味のある人柄も、この作品に奥行きの深さを与えている(2022・5)