楊双子『台湾漫遊鉄道の二人』(三浦裕子訳、中央公論社、2023、4)

 台湾ではこのところ1895年から1945年まで続いた日本統治時代に人々の関心が集まっているそうだ。一見、不思議に思うかもしれないが、中国の圧力が強まる中で、みずからの歴史や文化を大切にしたいとの思いが高まっているのだそうだ。半世紀続いた日本統治時代は、台湾人にとってよかれあしかれ忘れることのできない記憶となっているのだ。この小説は、そうした時代的背景のもとに、昭和13~14年に台湾を旅行した青山千鶴子という日本人作家と通訳を務めた台湾人の若い女性、王千鶴との台湾列島食べ歩きの記録という形をとっている。

 青山千鶴子は、周囲から攻め立てられる結婚話を逃れて、映画化されて話題になっている自作の宣伝、説明という名目による台湾からの招待に応じる形で、台湾に滞在、台湾縦断鉄道などで各地を回り、貪欲に食べまくる。通訳の千鶴は若いが頭もよく、知識も豊富、気配りも抜群で、千鶴子の貪欲な食欲にこたえて各地の料理へ案内し、自分でも食べまくる。この作品は、日本人作家と台湾人通訳とのたべまくりの一覧ともいえる。食通でもなく、台湾料理のごく初歩的な知識にも欠ける筆者には、その内容を紹介することは不可能である。ただ、台湾にはもともと現住民がおり、中国の色んな地方から渡ったいわゆる本島人がおり、さらに日本人がこれに加わるため、文化的にはすこぶる重層的多面的であって、料理もきわめて多種多様、豊富な歴史と蓄積がある。これはおどろくべきことである。興味のある方には一読を勧めたい。

 青山千鶴子は、通訳の千鶴が気に入り、親しみを増し、かけがいのない親友と感じるようになっていく。千鶴も千鶴子の要請に応じてかいがいしく働き、ときに心からの親密な感情を表に出すこともあるのだが、多くの場合何か能面をかぶっているようで、千鶴子にとっていまひとつ物足りなさを感じさせる。なぜなのかわからないが、千鶴子の側が親しみを募らせれば募らせるほど、千鶴の能面の度合いも増してく。やがて千鶴は千鶴子の通訳の仕事そのものを辞退するようになる。なぜか、千鶴子が、いたたまれなくなって台中の住まいのある日本人の居留地から本島人(台湾人)の住む地域へ足を運び千鶴を訪ねる。久しぶりに再開した千鶴の口から出たのは次のような言葉であった。「青山さんが大事にしているのは、青山さんの保護を必要とする、ものわかりの良い本島人の通訳です。でもそれは、本当の王千鶴ではない、本当の私ではないのです。こんなことで、青山千鶴子と王千鶴は本当の友達だと言えるでしょうか-----」 千鶴の後を務める通訳、男性の三島からも、千鶴子は「この世界で、独りよがりの善意ほど、はた迷惑なものはございません」という言葉を投げかけられる。植民地の支配者と支配される人々、天皇崇拝から日本語教育や神社まで押し付けられ民族としてのアイデンティティ-すら否定されかねない被支配者との間に、本当の友情など育つはずがないではないか、という根本的な問題をつきつけられたのである。青山千鶴子は、善意とはいえ、自分の傲慢さとおごりがどんなに相手を傷つけていたかに初めて気づかされる。食べ物漫遊記という姿をとったこの作品には、日本の植民地支配の根幹にかかわるこうした問題が内在していたのである。

 ところでこの作品には、その成立そのものにかかわって幾重ものフィクションが仕組まれていることも見逃せない。作品の冒頭に「昭和29年『台湾漫遊記』初版まえがき」なる一文があって、この作品はもともと1954年に日本の作家、青山千鶴子が日本語で日本で出版し、1970年に青山の令嬢、青山洋子が『私と千鶴の台湾漫遊記』として再出版、洋子から連絡を受けた千鶴の娘、呉正美がすでに母が翻訳を手掛けていたのを完成させて中国語で出版したのが1990年だと、正美が本書の「編者あとがき」で記している。しかし、これらは全て虚構で、作品は1984年生まれの楊双子(妹の楊若暉--30歳で死亡――と姉の楊若慈の共同ペンネーム)の中国語での書下ろしである(日本語の訳者は三浦裕子)。これは、巧妙なトリックなのでが、出版された際に史実と混同され一波乱あったようである。こんな経過も、この作品の興を膨らませている(2023・8)

桐野夏生『真珠とダイヤモンド』(毎日新聞社、2023・2)

 高度経済成長とバブルの時代を背景に、あくことなき儲けの追求で金と欲とに翻弄され、結果としてそのつけを払わせられることになる男女の憐れで悲惨ななりゆきをリアルに描き出している。『サンデー毎日』に連載(2021~22)された作品である。

 伊東水矢子と小島佳那は、1986年、萬三証券株式会社・福岡支店に同期で入社する。水矢子は高卒で、お茶くみやコピーとりをもっぱらとするいわゆる雑用係の事務員である。母子家庭で育つが、アルコール中毒の母親から一刻も早く離れたいと考えている。会社に未練はなく、給料を貯めて東京の大学に進学するつもりである。一方、佳那の方は、地元の短大を出ていて美貌、頭もよく営業第一課のフロントレディに配属される。男性社員と伍して力と能力を発揮したいと考えている。しっくりいかない両親と離れて、東京に出て独り立ちしたいとの思いも抱く。こういう境遇の二人が特別に親しい関係になったのは、女性社員と言えば地元の名門女子大出のお嬢さんばかりで、結婚相手をもとめて退職する人の多い職場で両人とも浮き上がった存在であったことからも、いわば当然のなりゆきだった。

   ここにもう一人、望月という男性社員がからむ。望月は、地元の名もない私立大卒で一見粗暴でマイペース、服装もダサく、見栄えがしない。上司や他の社員からもさげすまれる存在である。しかし、何としても実績をあげて、みんなを見返してやると、野心満々である。折しも、土地も株も上昇をつづけるという当時の日本で証券業界は活気に満ちている。社員たちは厳しいノルマを科され、相場が始まると電話が鳴り響き、がなり声が飛び交い、はっぱをかける課長の罵声が飛ぶ。フロアはまるで戦場のような興奮に支配される。完全な男社会で、佳那のような女性でも出る幕がないといった状況である。こんななかで、ひょんなことから水矢子、佳那と望月が親しくなる。望月は佳那の姉の元恋人の医師、須藤に接近し、須藤の女癖の悪さに付け込んで、脅迫まがいの手口で一億円の融資をかちとる。これが機縁となって望月は次々に実績をあげ、社内のトップスターに浮上する。望月は、佳那にプロポーズして結婚、成績優秀で東京の本社の国際部に栄転する。加奈は会社を辞め、東京の私立女子大に入学した水矢子とともに、東京に居を移す。志望校ではない大学への入学に失望する水矢子が、先行きに悩む一方、望月は手段を択ばぬあこぎな手口で巨額な投資家を獲得し、豪勢なマンションを銀座に購入するなど、生活ぶりも急変、佳那もそれにつられるように、贅沢を満喫する。しかし、望月の顧客の中には九州のやくざの親分もいて、一抹の不安を禁じ得ない。水矢子は、先行きにあれこれ迷って、たまたま相談した女性の占い師に誘われて、その占い師の助手になる。相場占いのため、水矢子は望月とのつながりで相場師を占い師に紹介するなど、旧同僚との関係を利用したりもする。

    突然、バブルの終焉が襲う。株価は暴落し、望月のすすめで何億もの融資をおこなっていた顧客が次々に大損をし、望月はその責任を追及される。望月を恨む顧客の中には例のやくざの親分もいる。望月をとりまく環境は一挙に急転し、望月と佳奈はならくの底に突き落とされることになる。投資に失敗した占い師からは水矢子も恨まれ、責任を追及される。占い師の助手を続けることが出来なくなった水矢子は、株で貯めた少しばかりの貯金を頼りに、転居し自立を試みるが、そこへ母が多額の借金を残して亡くなったとの知らせが届く。水矢子の肩に母の借金の返済がのしかかってくる。プロローグとエピソードは、コロナで職も失い、住居も失った水矢子が、ホームレスとなって東京の井之頭公園で佳奈の亡霊と再会する場面である。(2023・8)

池澤夏樹『静かな大地』(朝日新聞社、2003)

    同じ作家の最新作『また会う日まで』(朝日新聞出版)を読んだのを機会に、この作家の別の作品も読んで見ようと思い、やはり「朝日」(2002~2002)に連載されたこの作品を選んだ。前者が、海軍少将で天文学者、クリスチャンという異色の人物の生涯を描いているのにたいして、こちらは明治の初年、北海道に入植してアイヌと親交をむすんだ兄弟をテーマにした作品である。アイヌの苦難の歴史を描いているというので、食指が動いた次第である。これも600ページ余の大作である。この作家は、こうした長編を書くのを得意とするようである。

 維新をめぐるひと騒動の後、武士の資格を失った淡路島の士族が集団で北海道の静内に入植する。住むところも食べ物の目途もないまま未開の大自然に挑み、森林を伐採して根を掘り起こして耕地や牧場をひらくという未曽有の苦難に耐えての入植生活である。しかも、士族だから農業の経験もなく商売の仕方も知らない。かろうじて持参したわずかの家財を火災で失い無一物となり、そのうえ後続の入植部隊が渡航の途中で嵐に遭って全滅するという不幸も重なり、前途は途方もなく多難である。主人公の宗形三郎と弟の志郎は、両親と一緒に静内に上陸するが、接岸できない船に迎えに来たアイヌの通司に同行したオシアングルという少年に出会い、終生の友人となる。これが機縁になって、三郎は志郎とともに当時の和人にしては異例のことだがアイヌの人々と親しくなり、アイヌ語もマスターし、アイヌ人の集落に溶け込んでいく。大自然とともに生きるアイヌの人たちの生活や習慣、宗教にも理解をしめし、やがてアイヌ人と共同で馬を育てる牧場を経営するようになっていく。

 三郎は、頭脳も明晰で行動力もあり、選ばれてクラークが教鞭をとる札幌農学校と併設されていた札幌官営農業現術学校にも派遣され、最新の農業技術や牧畜の知識も身に着け、22歳の若さで静内の戸長を務めるなど、地域の有能な指導者に成長していく。弟の志郎は、この兄を尊敬しその導きにしたがってそれなりの業績を積んでいく。三郎は、出生は和人だがアイヌとして育てられたエカリアンという聡明で活発な女性と結婚する。

 この三郎に対して、アイヌ土人として蔑視し差別し搾取、収奪の対象としかみない日本人の入植者らが、尊敬の気持ちとともに違和感、反発、敵意を強めていったのも、当時としては不思議ではなかった。三郎がアイヌとともに経営する牧場が成功し、そこで育った馬が陸軍の軍馬として重要視されるようになるなど評判を高めれば高めるほど、これに対する妬みとともに、反発も広がっていく。そして、やがて中央政府の高官の配下らしき政商が乗り込んできてアイヌの排除を前提とする宗形牧場買収にのりだしてくる。和人とアイヌの対立はいやが上にも掻き立てられ、間に立つ三郎は窮地に立たされ、次第に心を病むにいたる。

 三郎亡き後、牧場は消滅し、志郎も病を得て娘の由良とともに老後を札幌で送る。志郎は先だった三郎の生涯を毎晩のように由良に語り聞かせる。由良は父の亡き後、三郎の生涯を

書き残そうと調査、聞き取りをすすめ、やがて一冊の著作にしあげる。この由良の目をとおして、三郎の生涯とアイヌとの親交、交流、共同の全容を語るというのが、この作品全体の仕組みとなっている。明治の初年にこういう人物も存在したのか、という感慨とともに、かつての松前藩の場所請制度による過酷な収奪にはじまる和人による搾取、差別、排除策で追い詰められていくアイヌの苦難の歩みが、大きな視点で浮き彫りにされていく。失われていくアイヌの言語、習慣、文化の様相などが、具体的な事例でリアルに描かれているのもこの作品の得難い特質として指摘しておきたい。(2023・7)

池澤夏樹『また会う日まで』(朝日新聞出版、2023・3)

  作者の池澤夏樹は、1945年生まれ。1988年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年、『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞を、『静かな大地』で親鸞賞、司馬遼太郎賞を受賞している作家である。「朝日」に連載(2020~2022)され、B5判で700ページを超す大作である本書は、作者の大叔父(祖母の兄)である秋吉利雄(1892~1947)の生涯をたんねんに跡づけている。秋吉は、海軍少将まで務めた生粋の軍人でかつ天文学者聖公会というプロテスタントの教派に属する熱心なキリスト教徒であった。現役の軍人で学者、キリスト教徒という一見相容れない三つの要素を一身にそなえて生涯をまっとうした稀有なる経歴に魅かれて、読んでみる気になったのだが、なるほどこういう人生もあったのかと、教えられるとともに、日本の近現代史を見る視野も少し広がったというのが、率直な感想である。利雄の遺族から大量の資料を提供される幸運に恵まれた作者は、「大叔父の生涯に導かれて日本近代史を書いてしまった。とんでもなく手間がかかった」と述懐しているが、さもありなんと思う。

 信仰の厚いクリスチャンの家庭に生まれた利雄が海軍兵学校に進んだのは、軍人になるという使命感より、貧しい家庭で学費が免除になるという経済的理由による。海軍兵学校での生活などもたんねんに描かれていて、初めて知る筆者の興味をそそる。海軍将校の道を歩む利雄は、海軍大学校に進み、そこから東大理学部の物理学科に進学、物理、天文学を修めて、海軍の水路部という特異な部署にみずからすすんで就任する。大洋を航海する艦船や空中を活動の場とする航空機は、自分がどこにいるかをたえず確認できなければ、航路を定めることも、艦砲や砲弾を敵に命中させることもできない。天体観測にもとづく精密な海図、航空暦が不可欠である。これを作成し供給するのが水路部である。天体観測と精密な計算という、実戦とは直接関係はないが、それなしには戦もまともな航海もできないという大事な部署である。利雄は、海軍将校として当然の軍艦乗務では、日曜ごとに教会に通うこともできない、恋女房と毎日夕食を共にすることもできない。彼にとって水路部は、他にかえがたき働き場所であったのである。地味な目立たない仕事だが、1934年、太平洋上の孤島、ローソトップ島で金環食を観測するために、国際的な観測団を組織して、機材の運搬から観測施設の設営、観測隊の配置などを指揮する機会があった。利雄にとってマスコミをにぎわせるような活躍は生涯を通じてこれ一回きりである。

 1941年12月8日、ハワイの真珠湾奇襲によって対米英戦争が勃発する。緒戦の勝利に沸いた戦局はあっという間に急転、海軍の主力空母、戦艦をはじめとする艦船は、米軍の主として空からの攻撃によって次々に撃沈され、日本は制海権、制空権を奪われ、敗戦必至になっていく。海軍内には、それらの情勢を客観的に冷静にとらえ、早期の戦争終結に断を下す高級将校も少なくなく、その情報は利雄の耳にも入ってくる。最初の妻に先立たれた利雄が再婚した相手は、アメリカ留学の経験を持つ熱心なクリスチャンで、アメリカに友人も多く、早くから日本の敗戦を予見している。宣教師をはじめ在日米人らが、強制収容、帰国を強要され、キリスト教系学校や病院などへの圧力、迫害もつよまるなか、海軍軍人でキリスト教徒の秋吉夫妻にたいする軍内外からの偏見と圧力が強まって不思議はない。しかし、秋吉の仕事の重要性を理解する海軍最高司令官の山本五十六は、彼を守るよう厳命を下す。本土空襲が激しくなる戦争末期には、東京築地にあった水路部は、貴重な資料や資材を各地に分散させ、秋吉自身、自分の部署とともに、岡山に疎開する。そして予見通りの敗戦。米軍占領下で、海軍少将の利雄は当然、現役を退き予備役となり、公職追放となって、一切の官職を失う。そのうえ、軍人恩給の支給も停止される。英語の堪能な妻がGHQに雇われ、その収入が一家の唯一の財源となる。失意のうちに、息子の光男と野球観戦中に雨にうたれて体調を崩した利雄は、入院した病院で娘の洋子の看護を受けつつ54歳で生涯を終える。

 作者は、この大叔父の生涯をできうるかぎり資料を駆使しながら、みずからの主観や評価をまじえずにたんたんと追っていく。そこから何をくみ取りどう評価をくだすかは読者の自由にゆだねられる。それがこの作品に独特の風格を与えている。(2023・7)

柳広司『南風に乗る』(小学館、2023・3)

 作者は、1967年生まれ。『贋作『坊ちゃん』殺人事件』で朝日新人文学賞、『ジョーカーゲーム』で、吉川英治文学新人賞などを受賞しているが、私は読んだことがない。ジャンルから言えばミステリーを書いてきた人のようだが、本作は違う。1952年、サンフランシスコ条約で日本が独立を回復したさいに米占領下に放置された沖縄の人々が、どんな苦難の状況におかれたか、そして米軍による不当な占領支配にどんなに不屈にねばり強くたたかいぬいていたかを、人民党党首・瀬永亀次郎(復帰後は日本共産党副委員長)を中心に、沖縄出身で東京に住みながら郷里をおもう詩人の山之口獏、英文学者で沖縄資料センターを設立して沖縄の窮状と人民のたたかいを本土の人々に伝え支援する仕事に打ち込んだ中野好夫の3人の歩みを克明にたどった力作である。

   その筆は、佐藤内閣による1972年の沖縄の本土復帰で終わっているが、「核抜き、本土並み」と宣伝された復帰の実態は、基地も核もない平和な沖縄をという県民の願いを乱暴に踏みにじるものであった。米占領下同様に米軍基地は存続し、県民の土地と人権が奪われたまま、そこに新たに自衛隊が乗り込んで来る。復帰を祝う東京の式典で佐藤栄作首相が復帰を実現したみずからの業績を自慢げに誇る一方、沖縄現地では復帰協の人々が、公の式典を欠席して怒りと抗議の集会をひらき、そこに多くの県民が参加する。県民の悲願を踏みにじった本土復帰の欺瞞が、ここに象徴されている。

 1952年、サ条約が調印されると、沖縄では米軍占領支配がつづくもとで琉球政府が設立され、第一回立法院議員選挙がおこなわれる。この選挙に那覇区から立候補した瀬永亀次郎は、トップ当選を果たす。選挙結果を受けて琉球大学校庭で琉球政府創立式典が開催される。この式典で出席した立法院議員の宣誓文の朗読が行われる。全議員起立、脱帽して直立不動の姿勢をとる。ところが、一番後ろでただ一人着席を続ける議員がいる。瀬永亀次郎である。宣誓文には、「米軍民政府の布告、及び指令には従うこと」とある。宣誓拒否である。アメリカに対する挑戦状だ。「観衆のあいだでざわめきがいちだんと高くなった。気がつくと、風の向きが変っていた。強い南風が吹き、頭の上に長くのしかかっていた鉛色の雲が吹き払われて久しぶりに青空が顔を覗かせた――そんな爽快な気分が集まった人たちの間にひろがった」という。瀬長の行動は講和条約で祖国から切り捨てられ、いつまで続くかわからない米軍支配の現実に希望を失いかけていた沖縄の人々を限りなく勇気づけた。この一事で、瀬長は県民の間で英雄になる。

 しかし、ここから瀬長はそれまでに倍して米軍に睨まれ、迫害され、残酷に鞭打たれる。軍用地の一方的な収容に反対する請願などの先頭に立つ瀬長議員を、米軍はついに逮捕、軍事裁判で2年間の懲役刑に処する。出獄後、那覇市長選で当選すると、市への援助金の停止から、市の取引銀行の取引停止等あらゆる妨害の上に、刑法犯の経歴あるものは公職につけないとの一片の布告で、市長を追放する。こうした理不尽んで乱暴きわまる迫害に抗して、瀬長を中心とする県民のたたかいは広がり、やがて祖国復帰協議会という思想信条の違いを超えた統一戦線に発展していく。

 一方、詩人の山之口獏は、困窮生活のなかで、ひょうひょうと詩を書き続ける。やがて、周りの人たちのカンパで、沖縄へ一時帰省するチャンスが巡ってくる。喜び勇んで何十年ぶりかで訪れた那覇は、すっかり昔の面影を失い、米軍の金網に閉じこめられた外国のようであった。帰京後、獏はすっかり元気をなくしていく。また、沖縄資料センターでは、そこに勤務するただ一人の職員であるミチコの目をとおして、中野の独特の風貌と人柄が描き出され、1972年の沖縄の祖国復帰に向けて、その活躍は瀬長らと交差してくる。瀬長、山之口、中野のそれぞれジャンルを異にした、ユニークな人間像が、作品に広がりと深みを与えている。土地を奪われ、婦女暴行など米兵の犯罪の被害に泣き寝入りさせられ、絶え間ない米軍機の騒音と相次ぐ墜落事故の犠牲となる沖縄県民の苦難の実態とたたかいがリアルに描き出されていて、なかなか読み応えのあるすぐれた沖縄戦後史となっている。(2023・5)

シャーリー・アン・ウィリアムズ『デッサ・ローズ』(藤平育子訳、作品社、2023・2)

 「朝日」の書評で20世紀を代表する黒人文学として紹介されていたので読んでみた。作者は大学教授で、文芸批評家、小説家、詩人、児童文学者である。1944年生まれで、99年に没している。生活保護を受ける貧しい黒人家庭に生まれ、近所の年上の黒人男性に売春行為を強要されたり、16歳で母を亡くし、姉に助けられながら畑仕事や葡萄の収穫の手伝いなどをしながら、学び、黒人文学に親しみ、みずから作品を執筆するようになっていく。アフリカ系アメリカ人で最初のノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンとも親交を結び、本書の巻末には二人の対話「霊的啓示」が収録されている。

 この作品は、19世紀半ばのアリゾナサウスカロライナを舞台にしているが、黒人文学と言えば、『アンクル・トムズケビン』くらいしか読んだことのない筆者にとって、読みやすいとはとても言えなかった。物語は、二つの史実から構成されている。一つは、1829年、ケンタッキー州でのできごと、一人の妊娠中の黒人女性が鎖でつながれて移動する奴隷集団(奴隷市場で売買されるために連行されている)で叛乱を先導する仲間にくわわり、逮捕され、死刑を言い渡されるが、赤ん坊が生まれるまで刑の執行を延期されるというできごと。もう一つは、1830年、ノースカロライナで、地域から孤立した農場に住む一人の白人女性が逃亡奴隷に避難所を提供していたという史実である。この二つの史実に依拠するこの作品はあくまでもフィクションであるが、作者は緒言で次のように書いている。「今の私にはわかるのです。奴隷制度は、ヒロイズムも愛も根絶やしにはしなかった。奴隷制度は、それらを表現する機会も与えてれたと」「ここに書かれているのは、私自身それを生きてきたような真実に他なりません」と。

 さて前置きが長くなったが、「黒んぼ」「娘」「黒人女性」の3部からなるこの作品の第一部は、地下牢に鎖でつながれた妊娠中の若い黒人女性、主人公のデッサ・ローザが、アダム・ネヘミアなる白人著述家による聞き取り取材に対応するという設定で展開される。デッサは白人著述家に根っから不信をいだいているから、次々に繰り出される質問にまともに答えようとはしない。しかし、その重い口からでる言葉の断片から、デッサの恋人ケインがいつも肩にかけている唯一の愛用楽器バンジョーを白人の主人に乱暴に壊されて、抗議したのを理由に撲殺されたこと、これに怒りを抑えられないデッサが、ケインの児を身ごもりながら奴隷反乱に加担したこと、そして捕えられ、死の判決を下されて、厳重に鎖で繋がれ獄舎に閉じこめられていること、そして、やがて仲間の手によって逃亡に成功することなどが、明らかになっていく。

 第2部は、出産したばかりのデッサが白人奴隷主で夫が失踪中の女性、ルーフェルの館で、主人の部屋のベッドに寝かされているところから始まる。ルーフェルは、ハートやネイサン、エイダなど逃亡奴隷に住居を提供するだけでなく、デッサの赤子が泣き声をあげると自らの母乳を授乳さえする。そしてそれぞれが人格を持った人間として奴隷たちに対応する。そんな白人を見たことも接したこともないデッサは最初なじめないが次第に心を開いていくようになる。そのうえ、ルーフェルはこともあろうに、白人女性主人の性奴隷を強いられてきた経歴を持つ黒人男性のネイサンと親密になり、性的関係をも持つようにまでなる。第3部では、このルーフェルと黒人たちが共謀して詐欺的手法で金もうけをして黒人たちの逃亡資金を調達するという奇想天外な道中が繰り広げられる。

 悲惨な境遇に置かれ残酷な体験を強いられながら、一人ひとりの黒人が人間としての尊厳と自尊心をもち、それぞれ独立した人間としてふるまう、そして、ルーフェルのような白人女性が現れる、ここに公民権運動が全盛期をむかえる20世紀の黒人文学の最大の特質があると言ってよいであろう。決して読みやすくはないが、一読に値する。(2023・5)

 

夏川草介『レッドゾーン』(小学館、2022・9)

 作者は、1978年生まれの医師(消化器内科)で、医療現場をテーマにした『神様のカルテ』シリーズ知られる。このシリーズを読んでいたので、コロナ禍の病院を舞台にした本作も発売後すぐに読みたかった。しかし、貸し出しを申し込んだ図書館はすでに予約が数十人もおって、半年もへてようやく手にすることが出来た。予想にたがわず、コロナ・ウィルス感染者がひろがるなかで、これと格闘する医師、看護師らの奮闘をまさに現場の医師ならではの鋭い目でリアルに生きいきと描き出している。

 「レッドゾーン」「パンデミック」「ロックダウン」の3編からなるシリーズで、コロナの発生から、政府による緊急事態宣言布告に至るまでの数か月間に焦点が当てられている。舞台は長野県の田舎にある公立の小さな信濃山病院。令和2年2月、横浜港に着岸した大型クルーズ客船の乗客にコロナ患者が発生、患者はたちまちのうちにひろがり、横浜周辺の病院で収容できなくなった患者の受け入れを要請される。院長の南郷、内科医長の三笠は直ちに受け入れを了承、三笠を責任者に消化器内科の敷島と腎臓専門の日進、管理職でベテランの看護師1名でコロナ対策チームが結成される。肥満の巨体で毒舌と皮肉屋で知られる日進は、最初コロナ患者の受け入れそのものに反対したが、いったん任務に就くと黙々と課題をこなす。

    最初の受け入れはクルーズの患者2名だが、まず、患者の隔離室、つぎに疑似患者や要検査の人たちを収容する部屋の急増、その各々と一般病棟を仕切るレッドゾーン、イエローゾーンの設置から始まる。担当者がそこに入るには、靴下を履き替え、手袋をつけ、使い捨てのキャップ、N95というマスクを装着、さらにタイペックと呼ばれる足首から頭の先まですっぽり覆うつなぎのような白い防護福を着用、チャックを締め、シールで留めた後二重になるよう、もう一つの手袋をつける。隔離病棟の収容人員は6人だが、コロナに効く薬もなく、手当の方法もわからない。しかも収容した患者のうち一人が重体になり、この病院の手には負えないと判断され、特別仕立ての車で二時間かけて施設のあるセンター病院に移送する。日を追って患者は増え、要検査の発熱者の外来は殺到するようになっていく。

 担当医は、本来なら呼吸専門の内科医が当たるべきだが、呼吸器内科医のいないこの病院では、専門外の医師がそれぞれ専門の分野で入院、外来患者の診察に当たりながら、時間を作り超過勤務をいとわずに、コロナ患者と疑似患者の診察に当たる。当初は、ワクチンなど期待できないばかりか、PCR検査でさえ、その施設のある東京の病院に送って判定がくるまでに4日もかかるという状況である。患者やの広がりとともに、当初は除外していた高齢の医師や若い子持ちの女医も、さらにまったく畑違いの外科医の協力も必要になってくる。

 コロナ患者受け入れは対外的には極秘とされ、院内にも周辺住民にも知らされないが、いつしかうわさが広がり、医師の家族やこどもが、風評被害にあったり、コロナ担当医と毎日接する妻や子どもとの関係がギクシャクしたりするといったことも起こってくる。

    コロナ感染の爆発的な広がりとともに、小さな病院での受け入れ能力の限度を超えていることが次第にはっきりしてくる。しかし、地域の他の病院、医療施設で、患者受け入れに動く気配はさらさらにない。むしろあれこれ理由をたてて、受け入れないまま感染流行の収束を待つという姿勢があらわで、そうした状況に対する信濃山病院の医師、職員らの不信、憤りも広がっていく。地域の医療機関が協力してコロナに対決する状況をどうやって作りだすか、院長の南郷や内科医長の三笠の肩には重い課題がのしかかってくる。

 過労と緊張の極限のなかで、医師の使命とは何か、なぜこれほどの危険と激務に耐えなければならないのか、といった医療の根幹にかかわる問題も浮き上がってくる。家族に秘匿していた敷島医師は、幼い娘から「お父ちゃんはお医者さんなのに、コロナの人を助けてあげなくていいの?」という問いかけに、衝撃を受ける。コロナ問題と医療に関心のある人にとって、学ぶところの多い一冊である。(2023・3)